ということになると、仕組みをつくるときに、小さな窓をどうするかというのが、課題です。
今お二人の話を聞いて、青少年の他者とのかかわりがものすごく少なくなっているんじゃないかと感じました。母親なり父親、あるいはそれ以外の他者とのかかわりが持てずに大きくなってきているので、心の窓も小さいのかもしれません。協調心や公共心、あるいは他人をおもんぱかる心が弱くなってきているんだろうと感じます。ですから、社会の仕組みを考える場合、その辺を考えなくちゃいけませんね。
司会 今お話がありました現象に加えて、私が感じるのは、ほかに子どもに実践的な精神とか能力というのが大変希薄になっているのではないかということです。みずから体を動かして、みずからやるというようなことが、例えば何か壊れても直そうとしないとか、そういうようなことがあると思います。それから倫理観というのも、電車とかに乗っている状況などを見ますと、欠けているのではないかと強く感じるのです。
体験を通じアプローチを
五十川 先ほど私は、今の子どもたちに光と影があるとすれば、影の部分をちょっと話したのですが、光の部分も十分あるわけですね。その光の部分というのは、意外に素直で、大人サイドがきちんとしたアプローチをすれば聞く耳は持っているんだと思います。
先ほど伊藤先生がおっしゃった子どもの問題は、裏返しますと親の問題だということにつながるのですが、大人サイドのアプローチの仕方によっては、光の部分として子どもが実におおらかに、伸び伸びと、活発に、素直に聞いてくれるのだろうという気がします。
もう2年前になりますけれども、大きな中学校が来ていまして、半日自由な時間があって、たまたま私は、そのとき屋外に出て歩いているうちに、 5人ほどの女子中学生のグループと立ち話を始めました。そして、立ち話をしている間に、10分ぐらいたつと言葉がぞんざいになってくるんですね。それで、そのときにそのまま許しちゃいけないなと思って、「君たちとおじさんは、年齢にこれだけの差があるんだし、大人に対してそういう物の言い方はおかしいと思うよ」と話をしましたら、一瞬、白けた状態になったんですが、やや間をおいた上で、ちゃんと言葉を切り替えるだけの能力は持っているんですね。また、おしゃべりをしていると、だれか1人ぞんざいな言葉を使い出したら、隣にいるのがツンツンとひじでつつくという行為に出ました。1時間ぐらい雑談をしたんですが、 もう最後はきちんとした会話で終わりました。
そのときに私が感じたのは、今の子どもたちは、決して欠点ばかりじゃなくて、大人サイドのその種の行動によって、子どもの真の姿を見ることができ、そこにはいろいろなことを吸収してもらう素地があるんじゃないかなという感じがします。
ですから、光の部分も十分あるんだ。その光の部分を大人サイドがどう酌み取っていくか、どう引き出していくかということになるのかなと思いました。それが、我々少年自然の家で言えば、自然の中での体験的な学習を通しながら、それを子どもたちに何か自覚させるとか、あるいは感知させるということなんだろうなという感じがしますけれどもね。
鈴木 先ほど青年のことを話しましたけれども、私どものところに小中学生もやってくるんですが、先ほど来話題になっている、大人がどうも教えていない部分が多いのかなという場面にうんと直面することがあるんです。