うちの施設の場合は、年間14万人近い子どもたちが生活をして帰るという姿を見ているのですが、一番目につくのが、基本的な生活習慣が欠けてきている子がどんどん多くなってきているということです。その原因は世の中でいろいろ言われていますから、それを一々挙げませんけれども、例えば、親子で利用していて、朝、私など顔を合わすと「おはようございます」とこちらから声をかけるんですが、返事が返ってこない、それは親子で返事が返ってこないというような現象がかなり見られます。
それから、子ども同士の活動、あるいは生活の流れの中でよく見られるのですが、人間関係、人と人とのつながりというコミュニケーションの世界で、今の子どもたちは、ひょっとすると、ゲーム的にリセットボタンを押すともとに戻れるという感覚を持っているんじゃないかという感じがします。これは、ファミコン等のゲーム等による遊びの中から、自然に子どもたちがそういう感覚になっているのかもしれませんけれども、一度崩れた人間関係を、リセットボタンを押せば白紙の状態でもう1回出直せるんだという感覚がどうもありそうな気がします。
ところが、現実にはそういうものじゃなくて、どろどろした人間関係から何とか修復するとか回復するとかという努力をしなきゃいけないんですが、そのあたりが努力するすべも知らないし、やろうという意思もないというようなところが現状として見られてます。
特に基本的な生活習慣の欠如という面で、これは先日、私はまざまざとそれを見せつけられたのですが、3年ほど前に、栃木県のある保母さんから、3歳児でおしめのとれない子がどんどんふえつつありますよという問題提起がありました。そのときに、本当にそうなのかなと、ちょっと私自身も確認するものがなくて、「そうですか、大変ですね」と話をして、それから3年たって、先日、それをまざまざと見せつけられました。歯医者の待合室で2歳から3歳ぐらいの女の子が私の隣に座っていました。その横にお母さんがいました。お母さんは一生懸命本を読んでいる。その女の子が「ママ、おしっこ」と言ったんですね。てっきりそれはお母さんの耳に入っているんだろうと思っていたら、何の返事もない。もう1回その子が「ママ、ママ、おしっこ」と言って初めて母親が気がついて、「あっ、そう。あなた、おしめをしているからいいのよ」という回答を母親がしたのです。
せっかく子どもがおしっこという、生活習慣の一番基礎になる部分を意思表示しているのに、「おしめをしているからいいのよ」という母親の発言を聞いたときに、3年前の栃木県の保母さんが言った3歳児でおしめがとれない子がどんどんふえつつあるということとが結びつきまして、この種のことが家庭で行われているとして、その子たちが幼稚園を経由して小学校へ来たときに―今、生活習慣という面で欠落しているという部分を世の中いろいろ提起されていますけれども、そこに結びつくんだなと思いました。