今、川崎の町の人々で、ここを何とかしょうじゃないかという機運が少し起きてきています。
例えば「おはらい町」の今の建物はやはり整備されてからできあがった、新しいものが多いですね。川崎の蔵は100年、200年の歴史を持っており、非常に立派な重厚な蔵がたくさん並んでいます。そういった状況はもしかすると「黒壁」が成功する以前の状況に近いものかもしれません。
○参加者
川崎は、蔵バンクを設立しました。90棟ほど残っている蔵や町家を何とか今の時代の中に生かしていきたい、生かす方法を何か提案しようじやないかということで設立されたものです。
ただ、地域の人の盛り上がりが今一つというところがあり、それが大きな課題です。そういうことに気がついて走っているグループはいいけれど、なかなか今、広がりは出てきていないのです。人の気持ちを起こすようなことで、何かヒントがあればお教えください。
もう一つは、中心商店街の疲弊ということです。伊勢にはいろいろな商店街がありますが、10年前の長浜市と同じような、人がいない町がどんどん出てきています。そこを何とか生かせる方法はないのでしょうか。商店街の違う生かし方があれば、またそれも教えていただきたいと思っています。
○清水
長浜で「黒壁」が成功した1つの視点としては、雰囲気は目一杯長浜らしさを活用しながら、ガラスというキーワードになるものについては全く歴史性とか地域性はなかったことです。それもこれからの皆さんの地域で開発をされる時の一番重要な要素ではないかと思います。
例えば今、川崎という蔵がたくさんある町のことが出ましたが、そこで何をするのかというのも大切な議論ではないでしょうか。
○参加者「黒壁」さんが10年間成功した背景には、対外的なPRをしたということもあると思います。その点、どんな宣伝をしてここまでこられましたか。
○清水
まず1点目に株式会社「黒壁」としてのPRはほとんどしませんでした。ポスターは小さいものはつくりましたが、基本的なものはっくっていません。観光協会なり、行政そのもので町をPRするポスターの題材として第3セクターである「黒壁」を取り上げた。そういった、これが長浜の町の新しい魅力なんだというふうなPRをどんどんさせていただきました。
PRは私が担当していましたが、旅行会社へのPRは基本的にしませんでした。マスコミヘのアプローチは多彩な関係でやっています。例えば全国の雑誌、新聞へは情報を出しています。さらにまたロコミでPRをしてもらってもいます。宣伝については基本的にはパブリシティーです。また、JR西日本が一生懸命PRしてくれたということがあげられます。JRといろいろなタイアップをして宣伝をしたことが大きかったと思います。だから我々の地域から見ると、伊勢志摩あたりだとJRの色は全く見えてきません。近鉄が強烈な印象です。三重県のPRは行政というよりも近鉄がやっているイメージが強いですね。