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1997年6月に、香港返還を目前に、中国政府は多くの文化遺産の中から近代以来外国帝国主義侵略に抵抗してきた歴史、及び中国共産党の「革命偉業」を反映する博物館を「百ヵ所愛国主義教育模範基地」と指定した。その主旨は「愛国の情念を育て、報国の意志を高める」ためだという*6。そのなかに抗日戦争関係のものは、全国で合計6ヶ所で、そのうちの4ヵ所は東北地方にある。

 

*6 97年6月11日付け『人民日報』海外版。

 

アンダーソンが言うように、「博物館と博物館的想像力は、いずれもすぐれて政治的なものである」*7。博物館(記念館)とは、国民の歴史表象を一つにつなぎとめるための仕掛けである。戦争博物館(記念館)は戦争による死者・犠牲者の記憶を国家的な新たな歴史表象のうちに結晶させようという、国家的立場からの過去の記憶の歴史表象化の行為であるはずである*8

 

*7 ベニディクト・アンダーソン。前掲書、1997:293

 

*8 小安宣邦、前掲書、1996

 

他のポストコロニアル諸国と似たように、戦争博物館に表示されている中国の「正史」は、過去の侵略、圧迫されてきた悲惨な歴史、および反侵略、反帝国主義を貫いてきた誇らしい歴史という二つの重要な内容がある。戦争記念館・博物館はその観光化を通して、外国の観光客に対しては自民族独自の歴史遺産をアピールすることができると同時に、自民族内では、国民に以前の苦難の歴史を復習し、ネーションの想像を行う儀礼の場として積極的な役割を果たしている。

 

2. まなざしの接近:

 

表4〜6からも分かるように、東北三省のなかで、迎え入れる日本人観光客数がとびぬけて多いのは遼寧省である。

遼寧省は、国交正常化以来、日本の17の県と市と相継いで姉妹都市を締結した。1996年、日本との貿易額は遼寧省の対外貿易総額の36%を占め、日本は遼寧省の最大の貿易パートナーとなっている。日露戦争から終戦までずっと日本の統治下にあり、日本人の居住民が多かった大連市は、今や日本企業が千社以上進出し、二千人以上の日本人が住んでいる。'84年、大連は14ヵ所の沿海開放都市の一つとして指定され、'95年まで、大連経済技術開発区に進出する千百社の外資企業の内、日系企業は二百七十社を占め、華僑資本を後ろ盾にした香港に次いで二番目に多い。

そして、大連市は、経済の面で日本からの投資を誘致すると同時に、観光の面でも日本人観光客を積極的に呼び寄せている。1994年6月11日付の『東京新聞』(夕)に、「町並み保存進む大連--市長『過去より交流重視』」と題する記事が掲載された。そこに、大連市では町並みの保存を「侵略の歴史ではなく、町の発展の過程を知る建築を残すため」と位置付けている、とある。そして、薄煕来・大連市市長は「不幸な歴史への正しい認識は必要だが、過去よりも今後の交流を重視していくのがより大切」と、“大連を懐かしむ旅行”も歓迎しているという。

 

 

 

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