このような外向的な需要のほかに、中国国内の急激な社会変動も歴史に関心を向けさせる誘因の一つとあげられよう。1983年共産党中央は文化大革命を否定し、毛沢東の責任を追及し、今まで絶対的とされていた毛沢東主義が揺らぎ始めてきた。そして、現代化や改革開放の急進行、'89年の天安門事件など、西洋崇拝、拝金主義や個人主義が氾濫しつつある現在、「愛国主義」が盛んに提唱されるようになった。
1991年に開館された、満州事変を記念する「九・一八事変博物館」の説明文に、
「前言:蒋介石の『不抵抗政策』により、日本侵略軍は一夜の内に、落陽を降伏させ、わずか18ヶ月間で、遼寧省、吉林省、黒竜江省、熱河省の四省を侵略した。(中略)中国共産党の呼びかけのもとで、(中略)やっと偉大な勝利を勝ち取った。(中略)前事不忘、後事之師(過去を忘れず、将来の教訓とする--筆者注)、日本軍国主義が発動した侵略戦争は、中国人民ばかりではなく、日本人民にも巨大な苦痛を与えた。九・一八事変勃発六十周年の際に本博物館を建設した目的は、歴史を証に、歴史を戒めに、歴史教訓を心に銘記し、国の恥を忘れないため、中華民族を振興させるためである。刻々復活する日本軍国主義を警戒し防止しなければならない。中日人民の古くからの友情を子々孫々続けるように。」(訳文は筆者、以下同様)
そして、結語に、「国力が弱いからいじめられるのだ。これが中国が侵略された根本的な原因である。(中略)いまや、古い中国はもう過去となり、新中国は旭のように勢いよく昇って、世界民族の中で誇らしく立っている。過去を振り返って、われわれはさらに、中国共産党を愛し、社会主義を愛すべきだ。中国共産党のリードのもとで、偉大な祖国を繁栄する社会主義大国に建設しようではないか。」
博物館の訪問帳('97年5月)に、「打倒小日本!(小日本をやっつけろ)」「国民覚醒、打到東京!(国民よ、目を覚まして、東京へ押しかけよう)」、「どうしてこんな大事件についての展覧館がこれほど小さいのか。どうして日本の首相橋本は靖国神社に行き、南京大虐殺記念館に行かないのか」と書き残した大学生や、老人もいた。
中国東北地方の戦争記念館や博物館を訪れる観光客には、学生の課外授業や、工場、・会社の団体旅行を中心とする国内人が圧倒的に多い。日本からの見学者は、八十年代以来、学生、教職員を中心とする「スタディ・ツアー」や「謝罪の旅」の参加者が主で、人数的には中国国内の観光客と比べ者にはならない。「九・一八事変博物館」を例にすると、1991年開館から'95年までの四年間で、博物館の入場者は60万人に達するが、そのなかの日本人見学者は約6千人であった。すなわち、国家主導の戦争博物館は、海外の国民を対象にするより、自国民に愛国教育する目的のもとで営まれているのである。
「九・一八事変博物館」の説明文からも読みとれるように、中国の戦争記念館の語りは、日本」への憎しみを増幅するのではなく、常に同じく「軍国主義者」の被害者である「中国人民」と「日本人民」の連帯を呼びかけている。他方、「国力」、「祖国」や「民族」などの言葉が目立ち、戦勝に裏付けられる中華民族としての誇りを強調する姿勢もうかがえないことはない。