日本財団 図書館


そして、このパンフレットの中に、「旧日本人街」については一言も触れられていない。「旅順」についての紹介も、「大連市の南。合弁企業の特別許可があれば日帰りの旅が可能である。旅順は日露戦争以来、日本人にも知られた地名で、港や町並、東鶏冠山や白玉山等に今もその遺跡が残る。周辺は美しい風景地区になっており、渤海沖の蛇島にはおよそ一万匹のマムシが生息している」というふうに、ノスタルジアを喚起するような気配は全くしない。

東北地方の観光地としてのチャーミング・ポイントについては、中国側が作ったパンフレットには、あくまでも「氷雪の自然風景」、「氷祭り」、「ロシア日帰りの旅」などが紹介されている。中国旅遊局発行の「1997観光年観光行事」(日本語版)には、「'97観光年の主なイベント」として紹介されたのは、東北地方ではただ吉林省の「吉林霧氷雪祭」一つだけであった。

また、日本の旅行社発行のパンフレットによくみられる「子供の憧れ・アジア号を展示する」蒸気機関車陳列館についての紹介も、中国観光局(国家旅遊局)発行の「中国国定旅遊路線景勝地図」(中国国定観光コース案内、内容は日本語)には、ただ、「中国最大の蒸気機関車陳列館で本世紀初期から五十年代までの数カ国の製造による十数余種類の旧型蒸気機関車が展示されている」と記され、「満州」体験者におなじみの「満州映画株式会社」から変身した「長春映画撮影所」の紹介もその由来などには少しも言及しなかった。

要するに、中国東北地方の観光作戦に関して、「旧満州のイメージしか売りようがない」と思う日本の観光業者とは逆に、中国の旅行会社はむしろ「旧満州」のイメージこそ売りたがらないようである。

 

b 戦争記念館の記述

 

日本の植民地支配、侵略戦争などの歴史に大いに関係する「満州」には、戦争関係の記念館・博物館も多数建設されてきた(一覧表を参照)。ここから分かるように、八十年代以前に建てられたのは、わずか二ヵ所しかない。ほとんどは八十年代半ば以降に設立されたものである。それはもちろん、六十、七十年代の「文化大革命」による中国国内の混乱した政治事情に原因があっただろうが、おそらく1982年に日本で発生し、のちに外交問題まで発展した「教科書問題」の波紋とも決して無関係ではない。「教科書問題」に代表される、国家による歴史の暗部への「変形的再生」*5という日本社会の動きに触発されて、中国、韓国では、それ以来植民地・戦争についての歴史研究や、戦争遺跡の発掘と保存、及び戦争博物館・記念館の建設などが着手されるようになった。九十年代にはいると、強制連行や、従軍慰安婦などの加害責任を問う声が日本国内外から多く寄せられてきた。

 

*5 子安宣邦、『近代のアルケオロジー--国家と戦争と知識人』、岩波書店、1996

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION