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ところが、今度は支配された「国」が植民地支配を脱し、政治的独立を奪取したとともに、「ホスト」側としてツーリズムのなかで欠かせない役割を果たすようになった。近年来、観光を積極的にとりいれ、「観光年」と定めてキャンペーンをする「新興国*3」が目立っている。例えば、フィリピンが'89年、マレーシアは'90年と'94年。中国は'92年と'97年。ビルマ'96年、'98年はカンボジア。食糧飢健に苦しんでいる北朝鮮までも板門店を観光スポットとして客寄せに力を注いでいる。これらの国々の観光資源はそれぞれ多少のバリエーションがあっても、共通するのは植民地時代の遺跡と戦争遺産である。

 

*3 第二次世界大戦後に独立した国々を指す[C. ギアーツ著、吉田禎吾など訳、『文化の解釈学II』、岩波現代選書、1973=1987:108]

 

戦争・植民地遺産の観光化を通して、かつての植民地体験や戦争体験の記憶がいかに再生産されるか、それは同時に「新興国」国民のナショナル・アイデンティティの構築とどうかかわるか、さらに、観光市場に左右されながら旧宗主国や加害国からのゲストに向けて「ホスト」としてどう演出するか、といったような問題は、ツーリズムの政治性を考察するために見過ごせない重要な課題だと思われる。

ここで、考察の舞台を植民地支配や戦争の歴史と因縁の深い「満州」に設定し、中国旅行一般募集自由化(1979年)以降における、日本人の「満州」観光を対応するホスト側に照明を当てながら、戦争と植民の記憶をめぐるゲストとホストの視線のせめぎ合い、及びネーション・ビルディングとグローバルな資本との相互関係を読み解いてみたい。

 

一. 「観光先進国」へ

 

1978年中日友好条約が正式に締結されたのを契機に、翌年から中国旅行の般募集「パッケージ・ツアー」が開始された。同じ時期に、プロ文革が終わり、改革開放政策が打ち出され、それに伴い観光事業もそれまでの友好交流を中心とする“政治型”から新興産業としての“経済型”へと正式に転換されていった。1979年中国観光が自由化してから'84年以前までに、国際観光業の斡旋に関しては「中国国際旅行会社総社」一社独裁の状態であった。'84年以後、国際観光業務連絡権限が地方の旅行会社にも拡大されるようになり、観光業の受け入れ能力も外国人向けの観光都市の数も毎年少しずつ増えてきた。1996年7月の時点で、全面的に外国人に開放している都市は1,260ヵ所を数える。

 

 

 

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