今日の主要な観光形態は大衆化・大量化観光、すなわちマス・ツーリズムという言葉で言い表すことができる。そのマス・ツーリズムが及ぼしたさまざまな影響下において80年代には「新しい観光」、「持続可能な観光」なる概念が出てきた。その「新しい観光」へのシフトというものを表現すると、それはパッケージ型の規格品から柔軟で個人の希望にそったものへの移行だという。例えばそれはFIT、バックパッカーなどの新たな形態のツーリストであるといえる*32。そのような概念の下、より実践的手段のガイドラインとして「もうひとつの観光」がある。
*32 Poon, A., Competitive Strategies for A "new Tourism", in C. Cooper (ed), progress in Tourism Recreation and Hospitality Management, Vol.1, London Belhaven Press, 1989, pp.91-102.
この「もうひとつの観光」は「マス・ツーリズム」に対する対義語としてとらえられる。しかしその両方は並行線上に相対立するのでなく、メダルの裏表の関係としても捉えることができる。なぜならマス・ツーリズムでの観光の大衆化によって人々が観光をし、その人々がさらにリピーターとして観光を繰り返していくとき彼・彼女たちは「潜在的バックパッカー」の要素を見いだしていくのである。旅行経験をすればするほど、パッケージ・ツアーのような画一的な観光ではなく、多様で新たな魅力を求めるため、長期滞在をし、地元のツアーなどに参加して独自で柔軟な観光を行うのである。したがって「もうひとつの観光」をただマス・ツーリズムの対義語として把握することは適切でないと考える。さらに「持続可能な観光」においても同様である。マス・ツーリズムを無条件に「好ましくない観光」ととらえるのではなく、その政策、活用方法によっては「もうひとつの観光」と共存し、かつマス・ツーリズム自体も持続可能な観光になり得る可能性があるのである。
例えば今後観光客の増加が予想されるアジアの観光は、西洋の観光と比べると、長期間に渡るものではなく短期間で、比較的高額な旅行が受け入れられ、ショッピング中心の観光であるという側面がある。このようなアジアの観光客は、いきなりバックパッカーのような「もうひとつの観光」が受け入れられている地域においては、彼らの観光需要は満足に消化されない。それを対処しようとするなら、それは大都市ないしテーマ・パークのような大量の観光客を迎え入れることができる観光形態、つまりマス・ツーリズムを中心に据えて対処していってもまず間違いはない*33。同時に旅行経験を積むことによって、マス・ツーリズムから脱却していき、バックパッカーのような観光形態へと移行していくツーリストも増加すると考えられる。つまりそこでは、マス・ツーリズムはバックパッカーに代表される「もうひとつの観光」とより良い「棲み分け」が生じると考えられる。
*33 玉村和彦『アジア的観光の構想「マス・ツーリズム」と「もうひとつの観光」の共存』(『観光に関する学術研究論文第1回観光振興又は観光開発に対する提言入選論文集』財団法人アジア太平洋観光交流センター、1996年)、15-32ページ。
このような現代観光におけるフォーマットのうえでバックパッカーの役割をいうならば、それは「もうひとつの観光」のツーリストであり、現代観光において「マス・ツーリズム」と「非マス・ツーリズム」という両方の架け橋となり、さらに両方が共存することができる潤滑油的な役割を担っているのである。同時に世界的課題となった環境問題を考慮した21世紀の観光開発での新たな可能性を象徴する存在でもある。ここでは詳しく触れなかったがバックパッカーの社会的および環境的インパクトについても、それはバックパッカーの教育水準の高さの指摘やエコツーリズムの参加率の高さ等に表れる環境に対する意識の高さなど、マス・ツーリズムとは異なるインパクトがある。
人々は、開放的で柔軟で人々との出会いをより多く求めて世界を旅しながら、新しい文化を創造する。この様な時代背景を代表したバックパッカーは「観光」をその本来の意味に立ち返らせ、同時に観光自らの方向性を示すものになる。一方で個人主義が台頭しているが、人は「孤人」では、ありえない。インターネットや絵などで美しい風景は将来見ることがあるが、人との出会いはどうであろう。バックパッカーは観光の本質である「encounter」を望むツーリストである*34。そのようなツーリストが増えていくことによって観光自体がよりプラスの方向に発展させることができる。すなわち別の言い方でいうならば、バックパッカーは観光そのものをサステイナブルにする要因になり得る最大の鍵であり、21世紀への新しい観光に向けて欠くことのできない者なのである。
*34 長谷政弘、前掲書、1-2ページ。
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