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このような全体の流れもインフラや情報化の進展に大きく左右された。1970年代の航空運賃の値下げによる安い交通手段、低廉な宿泊施設の充実、それまでの口コミなどによる情報の普及と世界的な経済発展と安定によって大きな転機を迎え、新たな一群のツーリストが生まれたのである。70年代のこの旅行者をRiley*15は「long-term budget traveler」と呼んだ。彼らはdrifter、wandererであっても、60年代のそれではない。Rileyはlong-term budget travelerの旅の動機を次のように述べている。「彼らは退屈な日常、単調な生活、仕事・キャリアヘの重圧、結婚に対するしがらみなど現代のストレスからの離脱として旅をする。その期間は彼らにとっては人生での重要な中継地点であり、日常生活を離れ、娯楽、文化、療養、スポーツなどに親しむのである。*16」。Rileyはさらにドラッグとの関わりの減少、旅行者の平均年齢の上昇、女性の比率の高まり、少額ではあるが現地に経済的利益をもたらしている現状、アクティビティーへの参加などの変化を通して60年代に見られていたdrifterとは異なるのだと主張した。Rileyは「今日の若い旅行者達はヒッピーや物乞い、忌み嫌われていた反社会運動者とは明らかに異なる。西洋社会は大きな変化を迎え、また現代の長期旅行者はその変化を反映している。このような旅行者は人生の中継地点を迎えている中流階級のものが多く、初期の旅行者に比べて平均年齢も高く、大学卒業者も多く、目的意識を欠如した放浪者ではない。柔軟な行程において旅をし、(最終地点には)元の彼らの生活の場所へ戻ろうとしているのである。*17」と述べている。

 

*15 Riley, P., Road Culture of International Long-Term Budget Travelers, Annals of Tourism Research, Vol.15, 1988, pp.313-328.

 

*16 Riley, P., op. cit., p.317.

 

*17 Riley, P., op. cit., p.326.

 

このように50年代に出現したdrifter、wandererは60年代において社会的問題児となり危惧されたものの、70年代のlong-term budget travelerは西洋社会の変化を反映して社会的問題児から脱却したのである。このような現代社会がもたらしたストレス、重圧からの逃避として旅をするバックパッカーはその特徴を「逃避型(escaper/relaxer)*18」とうことができる。

 

*18 Loker, L., op. cit., pp.8-12

 

以上のようにバックパッカーの派生要因、動機を四つに大別してそれぞれのプロセスを見てきた。それら四つの要素を礎に1980年代にバックパッカーが誕生したのである。このバックパッカーは現代観光においてはマス・ツーリズムと対置する者として把握され、同時に1980年代に提唱された「もうひとつの観光」を代表するツーリストといえることができる。

 

第II章 オーストラリアにおけるバックパッカー

 

第1節 バックパッカーを観光政策に取り入れたオーストラリア政府の対応

 

美しい海に囲まれ、自然の宝庫であるオーストラリアはグレートバリアリーフでのスキューバーダイビングやホエール・ウオッチング、中央にそびえ立つアイアーズ・ロックでのクライミング、コアラ、カンガルーなど、動物・自然とのふれあいなど様々な見所をもつ国である。オーストラリア全体の産業を通じても観光への依存度は高く、1995-96年度における観光産業の支出はGDPの7.4%を占め、国際観光収支もオーストラリア全体の貿易輸出の13.3%を占める155億豪ドルに達する*19

 

*19 Government of Australia, Office of National Tourism-Facts and Figures-, URL http://www.tourism.gov.au/new/cfa/cfa_oct.html ,1997.

 

 

 

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