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3] アレクサンダー大王の人間性

「歴史上の人物が多少ともつねにそうであるように、アレクサンドロスのばあいも、その評価・解釈は、時代の流れに応じ、研究者の立場姿勢によって、おおきく変わってきた。

溯れば、19世紀半ば近く、ドイツの歴史家ドロイゼンが、プロシャ国家主義の立場からするドイツ統一への期待を歴史に投影させて、そこからマケドニアの覇権、さらにはアレクサンドロスの壮大な覇業を、熱っぽい筆で賛美したとき、同時代のイギリスでは、自由主義的な歴史家グロートが逆に、洗練されたギリシャ市民社会の没落を哀惜して、北荻マケドニアの勃興、ひいてはアレクサンドロスの制覇に冷たい目を向けた。今世紀第二次対戦前のアレクサンドロス像は、概してドロイゼンの強い影響のもとに、理想主義者としての、あるいは合理主義者としてのアレクサンドロス、を強調するが、いずれも、高いギリシャ文化を東方にになう、輝ける騎士として、かれを世界文化史上の卓越した英雄に描き出すという点では、変わりなかった。しかし、大戦の惨烈な経験が、歴史、人物解釈の上に投影された例はこの場合にもあてはまる。アレクサンドロスのうちにひそむ、一種の「デモニッシュ」な力、恐るべき激情と果てしない自我の拡大は、痛切な戦争体験を持つ学者には、独裁者ヒトラーのすがたと二重写しになって感じられたのである。今日の研究の活況も、こうした解釈の分裂から生じた。

アレクサンドロスという人間を内側から支え、かれをつねに前へと駆り立てた、その推進力の源泉は、わたしには「可能性」への信頼だったように思われる。未来に対する、彼の憧れだった、と言っても良い。可能性を信ずることは、自分自身をどこまでも信じることであろう。そして、自分を中心にすえて、この世界を信じることであろう。こうして、かれはどこまでも、太陽でなくてはならない。太陽は灼熱したエネルギーの魂である。味方も、敵でさえも、出会った全てのものを、その引力圏に引き込み、近づくあらゆるものに、自分と同質の磁性を与えずにはおかない。これは、たしかに、抵抗しがたい一種の「魔力」とも言うべきものだった。「人間的魅力」などという生ぬるい表現では、とうてい尽くせない、それはある種の不気味さをすらたたえた「魔力」であった。

わたしが、アレクサンドロス東征についてのいろいろな資料を、幾度読み返してみても、ついに私の理解を超えるのは、このアレクサンドロスの、「魔的な」としかいいようのない、力というか、性格であり、またかれの、その「魔法の采配」のもとに幾万の兵士たちが、「だだ黙々と」ぼく艱難苦闘の10年間をつき従ったという、その事実なのだ。」

4] 東方遠征の持つ意味

アレクサンダーの行った東方遠征については、計画事態としては既に父王フィリップ2世により立案されて来たものであったが、父王暗殺による統率者の交代により、結果的に遠征の目標自体にも、決定的な違いとなって現れてくる。

「東方遠征-それは、計画そのものとしては、フィリッポスがはじめて構想をたて、アレクサンドロスに引き継がれて実現をみた問題なのだが、この統率者の交代は、恐らく結果的に遠征の目標自体にも、決定的な違いとなって現れたように恩われる。……」

「フィリッポスにとって、ペルシャ領への侵略は、どこまでも現実政治家としての冷静な検討から生まれ、戦略家としての緻密な計算から策定されるべき問題だった。つまり、東征はマケドニア王国の基礎がそれによってさらに強化され、一層豊かになる、そのための機会、そのための方策と判断されるかぎりにおいて、着手できる問題だったのである。…」

これに反してアレクサンドロスにとっては、その意図した東征の目標は、はじめから「可能性」というかたちでしか存在しなかったようにみえる。可能性をつねに積極的な可能性として捉え、行動を通じて、それを積極的に現実のものとしてゆくこと。その過程そのものが、彼にとっての、目標、といえばいえるものだったかもしれぬ。アレクサンドロスの「世界帝国」という。しかしそれも、かれにしてみれば、おそらく過程の一産物であったにすぎまい。可能性を信ずることは、やがて自分自身を信ずることでなくてはならない。そして、可能性が現実にひらけるのは、ただ自分自身を試みる現実の行動において、だけなのだ。

 

 

 

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