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2] アレクサンダー大王の遺産

アレクサンダー大王が大遠征事業で残した遺産のなかには3つの事柄があげられる。一つは、広大な版図の各地に建設したアレクサンドリアの文化活動によるものであった。アレクサンドリアの全貌は、今日では不明になったものも少なくないが、今日のイラン、アフガニスタン、旧ソ連邦CIS諸国、パキスタン等に少なくとも30は建設されたという。そのうち最も有名なのは、エジプトのナイル三角州の西端に建設されたアレクサンドリアで、ここはプトレマイオス朝の首都となり、地中海世界とインド、アラビア貿易の中継港として、数世紀を通じて世界最大の貿易港として栄えた。

エジプトのものを含めてこれらのアレクサンドリアの特色は、直角に交差する直線道路によって市街が形成され、付近の丘の上に神殿があり、その下にアゴラ(広場)、劇場、体育館、浴場その他の公共建築物が建てられたことであった。これらのアレクサンドリアには、ギリシャ人の将兵、官吏が残され、彼らはギリシャ語を用い、ギリシャ文字を書き、ギリシャ工芸を愛好し、ギリシャ貨幣を使用していた。こうした各地のアレクサンドリアのギリシャ人の文化活動により、広く西アジア一帯にギリシャ文化が波及していった。特に、ギリシャ語は共通語として使用された。ギリシャ人はきわめて積極的で、それぞれ現地の人々と交流し、双方が活発な文化交流を行った。その結果、各地でギリシャ文化と現地の文化が交流・変質し、ヘレニズム文化と呼ばれる世界的・普遍的文化に発展した。

アレクサンダー大王の遺産の第二は、ガンダーラ仏教美術が開花する遠因となったことである。紀元前256年セレウコス朝から独立したバクトリア王国ができたが、この王国は支配階級がいずれもギリシャ人で、公用語はギリシャ語、貨幣もギリシャ風であった。このバクトリアのギリシャ人はカーブル川流域やガンダーラ地方に移住し、やがてこの地方に定住してガンダーラ仏教美術の成立に重要な寄与をなした。ガンダーラやタキシラではすでに仏教が伝来しており、多くのギリシャ人らの子孫達が前2世紀以降、仏教の反映、多数の仏寺の建立に尽力したに違いない。多数のギリシャ人信者達のストゥーパ寄進碑文が残されている。

第三は、アレクサンダーの東征が色々な物語(アレクサンダー伝説)を生んだことである。わずか11年あまりの間に、当時の知られうる限りの世界を征服し、33歳で急死したが、彼のあまりにも華麗な、しかもいたましくも薄幸な生涯は、彼が世界の未知に挑んだ功績が大きければ大きいほど、人々の憧憬と崇拝と同情を引き起こし、次々に語り伝えられた。

もともと大王の東征には記録係が随行し、やがてその遠征記録に基づいた「正史」や「物語」が作られたが、次第に空想、神秘、憧憬を織りまぜた「世界征服者アレクサンダーの伝奇物語(アレクサンダー・ロマンス)が世界各地に広まっていったのである。特にアレクサンダー・ロマンスとは、中世ヨーロッパにおいて、大王に関する空想的・夢幻的な物語を総称したが、近年、西アジア、中央アジア、中国、東南アジアにも、広くアレクサンダーに関する物語が流行していたことが明らかになった。近代にいたるまで、アレクサンダー大王は、こうした「アレクサンダー伝説」によって世界の人々に語り伝えられてきたのである。

 

今度は、大牟田章著(アレクサンドロス大王「世界」を目指した巨大な情念)より、アレクサンダー大王の持つ人間性と彼が目指した東方遠征の意味について抜粋して述べたい。

 

 

 

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