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b. 調査の内容

パルミラ遺跡には生ける者が生活をした街「アクロポリス」を取り囲むように死者の暮らす「ネクロポリス」、いわゆる墓地が4カ所存在し、その1カ所にあたる東南墓地を奈良・パルミラ遺跡学術調査団が調査を実施している。東南墓地は、パルミラの中心的な建造物であるベル神殿の東南1.5kmの地点にひろがっている。

調査団が、最初に発掘調査を実施したC号墓はパルミラで現在までに発見されている地下墓としては非常に小規模であった。しかし、この墓は、盗掘を受けた痕跡はなく、多くの情報をもたらした。C号墓は、109年に父をルシャムスとするヤルハイという人物によって建造されたことが出土した碑文から判明し、さらに埋葬されたヤルハイをはじめとして彼の子供たちの胸像をはめ込んだ棺が出土した。これらは、パルミラの埋葬用彫像のなかでも優品である。さらにこの墓からはパルミラの彫像として一際目を引く彫像が出土している。それは、死者を一対の有翼の女神が天空に導く構図の浮き彫りが施されており、遠く日本の法隆寺の飛天とのかかわりを考えうる資料として注目に値する。

F号墓の発掘は、C号墓の奥棺部を検出している際に偶然に階段を発見し、C号墓の調査の終了をまって開始された。F号墓は、非常に重厚で優美な門構えをした大規模な墓で墓室内は白色の石灰岩で内装された上に華麗な唐草文及び花文が施されていた。この墓は、紀元後128年に父をマルコとするボルハ・ボルパの兄弟が建造したことが出土した建造碑文に刻まれていた。この建造碑文には、酒神バッカスの従者であるサチエロスのような恐ろしい形相をした頭部が彫刻され、まさにこの墓に邪悪なものの侵入を断ち切るという意味合いがもたされていたと考えられる。また墓の入日の門にも碑文が見られ、この家族がパルミラでも高位に列せられていたことや、この墓が後に他人に譲渡されたことが知れる。

墓室内には家族饗宴の場面を表現した彫像をあしらった石棺が安置され、奥棺室の3墓はコの字状に配置され、特に中央の大きな家族の饗宴を表した石棺はこの墓を造った兄弟にかかわる家族を表現している。入口側の2墓は奴隷が家族の一員となった人々の石棺であった。

遺体は棚上の棺に納められ、約82体の死者が葬られていた。その内訳は男性が29体、女性23体、性別の不明な若年5体、小児11体、乳児14体であった。これらの遺体の中には貧血症や関節炎など骨自体に何らかの病状を見せるものもあり、興味深い。

遺体にともなう副葬品はあまりみられないが、ある場合にはランプと装身具が多くみられる。しかし、時にはガラス器、護符、青銅ベルなどが遺体に携帯されていた。

 

 

 

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