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3] 列柱道路

凱旋門から始まる列柱道路は幅13m長さ1mにも及ぶ大通りで、道路の両側には高さが16mの見事な列柱が何本も残っている。凱旋門は紀元後160年に完成したものであったが、シリア政府によって復元された。

4] 劇場

記念門から列柱道路を街の中央に向かい、四面柱の手前を左側に少し入った所にある。完成が紀元後160年、発見されたのは1952年である。規模は小さく観客席13段、舞台は48mとなっている。演劇の上演や、剣闘士の戦い、動物と人間の戦い等が行われた。現在も劇場として使用できるよう証明設備を備えている。

5] イブン・マーン城跡

アラブの英雄サラディンによって作られたアラブの城である。山頂にそびえる城の周りには堀が巡らされ、山と堀で二重に守られている。山頂からはパルミラの遺跡や街の全貌が見られる。駐車スペースが狭いため大型バスは乗り入れができず、観光客は小型の自動車に乗り換えてやってくる。

6] 墳墓跡

1) 墳墓遺跡の概要

主に、パルミラ西方の谷間に散らばっている。代表的なものには「3兄弟の墓」「エラベルの墓」「ボルパ、ボルハ兄弟の墓」がある。その姿によって塔墓、家屋墓、地下墓の3形式に分けられる。この中で塔墓が最も古く、前1世紀頃から作られた。四角い階上式の塔になっており、各階の壁面には棺を入れる数段の棚があるとその前面には、故人の生前の姿を表す肖像のレリーフがはめられている。この形式を採っているのが「エラベルの墓」である。紀元後105年の完成といわれ、地上4階、地下1階となっている。1階の天井には装飾が施され色も残っている。最上階からパルミラの街が一望できる。

家屋墓は2世紀頃多く作られた。1階だけの平屋住宅に似た形式であるが、入り口や天井には彫刻が施されている。

地下墓は3世紀頃多く作られた。地下にT字型に部屋が伸びている。ダマスカス国立博物館にあるイアルハイの地下墳墓がこれに当たる6このほか、「3兄弟の墓」や後に詳述する日本の奈良県発掘調査チームの発掘になる「ボルパとボルハの墓」がある。

2) パルミラ遺跡東南墓地地下墓発掘調査の概要

a. 経緯

奈良置県100年、奈良市制90周年の行事として1988年開催された「なら・シルクロード博」にシリア政府から文物の出展があったが、それ以来奈良とシリアとの友好関係が生まれ、シリア側からパルミラ発掘の打診をうけたことから始まる。

博覧会後、奈良を「シルクロードの歴史と文化の研究拠点」と位置づけ、国際理解の促進など地域からの国際化、イベントを核に活力ある地域づくりを通して世界に開かれた「国際文化観光・平和県」の実現に寄与することを目的に、平成元年7月になら・シルクロード博記念国際交流財団が設立された。シリアからの発掘の誘いは、21世紀に向けて国際化をより推進し、シルクロード関係諸国との関係を深め、地域レベルでの国際交流をめざす奈良の意向にも添うことから、発掘調査が共同で行われることとなった。候補地点のレーダー探査の後、1991年からパルミラ遺跡東南墓地地下C号墓の発掘調査を行い、94年から5カ年計画で同墓地F号墓の発掘調査を行っている。1998年7月から財団内に「シルクロード学研究センター」が設置され、発掘調査をセンターの事業として実施している。以下調査の内容を(財)なら・シルクロード博記念国際交流財団/シルクロード学研究センターの資料により紹介したい。

 

 

 

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