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今後、この地下墓については奈良県の財政援助のもと復元・修復され、一般に公開される予定である。

 

(4) ハマ

ハマの歴史は新石器時代に遡る。紀元前11世紀には、シリア・ヒッタイト文化ないしアラム人の王国であるハマス(Hamath)として栄えたことが記録されている。ソロモン王時代にイスラエルの支配下に入ったが、前9世紀には独立を回復した。前720年頃、アッシリアに滅ぼされる。アッシリア、ペルシア、ローマの支配を経て、紀元後636年アラブに降る。11世紀〜12世紀にかけて南北シリアの諸勢力に翻弄されながらも、アユーブ朝時代には繁栄を誇り、現在観光名物となっている水車もこの頃から作られはじめ、マムルーク朝時代やオスマントルコ時代にも増築されている。またハマは長くイスラム正統スンニ派の中心地となってきた。

・水車(Norias)

市内を流れるオロンテス川沿いに作られており、現在でも農業灌漑用に使われているものがある。最大のものは、町の中心から1kmほど下流にあるアル・モハメディーエ水車で車輪の直径が20mあり、歴史的には14世紀から動き続けているが、1977年に修復が行われた。

 

(5)その他の地域

・ホムス

ダマスカスから北へ110km、ホムスはシリア国内で3番目に大きな町である。砂漠地方と地中海沿岸地域へ移動する為の中継点として重要な役割を果たしてきた。銀色に光るドーム屋根が美しいカーリド・イブン・アル・ワリッドモスクが市内にあるほか、郊外には2000年前にエジプトとヒッタイトが争った「カデシュの古戦場」がある。観光地としての役割よりも、各主要都市を結ぶ中継地点としての役割が大きい。

 

・クラーク・ド・シュバリエ(シュバリエ城)

ホムスの西約75kmに位置し、標高650mの山頂にそびえる十字軍の巨大遺跡である。アカバ湾から小アジアのキリキアまで、ほぼ一直線上に数多く築かれた十字軍の城のうち、最も良く原型をとどめている。二重の防壁があるこの城は、急勾配の丘の上に立つ。元来は小さなアラブの砦であったが、十字軍が増築をして現在の規模になっている。ガイドの説明によれば、4千人の兵、軍馬等の家畜が起居していたというもまた、地下には、大規模な貯水槽があり長期間の籠城にも持ちこたえたと言う。中城の側壁にはリチャード獅子親王を象徴するライオンのレリーフが刻まれている。また将校用の食堂に使われていた大部屋のアーチには、ドイツ、フランス、イタリア、イギリスの各国紋章が刻まれ、混成軍であった十字軍の当時を偲ばせる。

 

 

 

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