最後に、イスラムと日本との関係について触れてみたいと思います。イスラムそのものが、現在、日本にとって脅威となるということは、私は、ないといってよろしいかと思います。これはアングロサクソンを中心とする欧米にとっては脅威かもしれないけれども、日本にとっては差し当たって、国内的にいえば、一部のイラン人などによる麻薬や暴力などの犯罪はあっても、イスラムに名をかりたテロリズムや、ある種のイデオロギー的な自己主張が日本の利益や市民の生命に対して挑戦しているという事実は、差し当たってないからであります。したがって、イスラムというある種の帝国性が1つの脅威として新しい世紀において問題になっていくのは、基本的にはアングロサクソンを中心とした欧米に対する歴史的なつながりでのチャレンジングファクターとして見ていけばよいと思います。
なぜかと申しますと、イスラムというのは、基本的には古典古来のギリシャ、ローマ文明の消滅以降に登場してきた3つの文明の要素の1つであるからであります。1つは、西欧文明、さらにビザンツ、そしてイスラムです。この中で、文明発展の歴史的な正統性を争う大きな要素がイスラムと西欧文明との間にある、こういう歴史的な背景を担っております。つまり、この文明発展の正しい系統をどっちがとるのかという歴史認識を基礎に置いたシステムをめぐる争いが、昨今に至るまでの、いわばアメリカを中心とし、イギリスを基軸にしたような西欧とアラブ、イスラムとの間の鋭い対立になっていると考えるべきであろうかと思います。
ハンチントン教授の「文明の衝突」という考え方があります。「文明の衝突」は、ご承知のように、日本が中国と一体化してアメリカに対抗していくという構図を描いておりますが、私は、以上述べてきたようなことを考えたときに、その可能性は非常に少ない、ハンチントンのように、日米安保条約が廃棄されて、日本が中国にコミットすることはない、と考えております。
まず第1に、日中戦争を初めとする歴史認識のカードを常に切り続ける、当分、切り続けるであろう中国に対して、日本はいつまでもこのままでやれるかどうか。
第2に、中国のある種の帝国性に基づく古典外交に対して、日本の世論が果たしていつまでも寛容でいられるかどうか。こうしたことを考えたときに、きょうの佐藤先生はそこをスキップされましたけれども、ここでは日米安保の問題も触れられておられますが、むしろそれによって日米両国が理性的に、かえって結びつく意義の方が強いのではないか。その意味において、21世紀においても、先進民主主義諸国の役割は高いものがあって、その中で日本は経済を中心にして正当な貢献を果たしていくべきだという議論に、私は基本的に賛成するものであります。
以上です。
○モデレーター
ありがとうございました。
文明論という新しい側面を投影していただいて、大変興味深いお話を伺いましたが、イスラムと中国という2つの問題について、さらにこれを全体の議論の中で解明していっていただけるといいかなという感じをもちながら、大変おもしろい、興味深いをお話を伺いました。