しかし、そのことが国家の意味や役割がなくなったということを意味するものでは毛頭ない。むしろ、それに続く経済的なエンパワーメントの過程の中で新しく近代的な企業が生まれ、またその企業のメンバーとしての意識や行動様式をもつようになる人々が生まれております。これを市民と呼ぶのが本当に適切かどうかというような議論も一理ありまして、むしろ会社員とかいった方がいいかもしれません。あるいは、初期の形では、ブルジョアジーとかプロレタリアートというような意識をもっていた人々ですけれども、その人たちが企業は自分たちのものだという自覚をもつようになると、日本の場合は社員といったような呼び方になっていくのだろうと思うのです。
ともあれ、国家と企業は、企業が国家を大きく変えたのではなくて、相互に補完的な関係をもって近代社会をつくってきた。そして今日、情報化によって、第3の新しいタイプの知的な影響力を獲得し、発揮しようとするグループが生まれてきております。それを私は知業と呼んでいます。そして、そのメンバーを、先ほど大河原理事長にご紹介いただきましたネティズン、あるいは日本語では、知恵の「知」という字に「民」と書いて知民(ちみん)と呼んでみております。しかし、ここでもまたそういう新しいタイプのグループが生まれてきたから、もう企業はなくなる、国家がなくなるということではない。むしろ、その3者がより協力的な関係、コラボラティブな関係をいかに展開していくことができるかがこれからの情報社会で大きな力を発揮することのできる国、あるいは地域の条件だろうと思います。
しかも、それと同時に、実は2番目の産業化、経済的なエンパワーメントも終わっているわけではなくて、終わっているどころか、今、まさにここでも猛烈なエンパワーメントが進行しています。つまり、第3次の産業革命が起こっている。ほぼ 100年ごとに産業革命が起こる中で、前半は突破の段階、後半は成熟の段階というようにみてみますと、その中間で何十年か両方の性格が混在するというか、オーバーラップする時期がございます。歴史を振り返ってみると、そのころに非常に大きな混乱が起こっている。今世紀はちょっと長引き過ぎましたが、前半、大きな戦争を2度もやりましたし、大不況もしばしば経験しました。それから、19世紀の初めもナポレオン戦争などに象徴されるような大きな混乱がありましたけれども、これは、いってみれば、突破期の産業革命の力が成熟期になって普及していく中での転換に際して、頭の切りかえがきかないが故のことだと思います。
例えば、重化学工業の技術を使って、戦争をすれば勝てるだろうと単純に思いこんでやってみたら、とんでもない戦争になってしまったとか、前と同じような形で不況に対処すればいいと思っていたら、どうしても抜け出せない。むしろ、乗用車とか家電のような大衆消費製品を大量につくるというやり方を発見してやっと抜け出したわけですけれども、それと非常に似たような意味で、私どもは今、第3次の産業革命、情報通信産業革命の突破段階から成熟段階にいよいよ歩み寄ろうとしているところで、また混乱期を迎える可能性があると思います。