フランス革命のときに、「人間及び市民に関する権利の憲章」という有名な人権宣言が出ますけれども、そこでの市民というのは、要するに、その当時の有権者、第3階級を意味しております。したがって、フランス革命の人権宣言の最初の方にあるのは、「市民の第1の義務は国家の護衛である」ということが書いてあります。これは、いわゆる日本の市民主義者が聞くと目を丸くするようなことだと思いますが、市民というのはそういう意味であります。
日本における市民という言葉は、世界の常識とは非常に離れた言い方であると思います。ただし、そういう表現で従来の国民とは違うことを表現したいというところに日本も先進民主主義国であって、ステートとネーションの分離が若干行われつつあることが示されていると思います。ただし、NGOというのは、大体において、直接、間接に、国家の補助なしには存続し得ないものであるということは、私のペーパーで触れておきました。
それから、グローバリゼーションが進めば進むほど国家の役割が制約されるというのはいうまでもないことですが、グローバリゼーションを推進している最たるものは、実はマーケットでありまして、その中で強力に推進しているのが民間の企業であるということはいうまでもございません。ただ、マーケットは非常に不完全であります。弱肉強食の結果、逆に自由競争を、マーケットメカニズムそのものを否定する要因を内蔵しておりますし、マーケットというのは必ず行き過ぎたり、足らな過ぎたり、オーバーシュートしたり、アンダーシュートしたりするものであります。また公共財はマーケットによって完全には提供されないことは常識に属します。
さらに、豊かな先進民主主義国の間では、家族とか、地域社会とか、宗教団体とかいう伝統的なコミュニティーが崩壊いたしまして、その分だけ国家が秩序を維持するためにやらなければならない役割が増大している。国家の能力が制約されているまさにその瞬間に、逆に国家に対する期待は高まり、しかし、その期待どおりに国家ないし政府が対応できないということから政治不信が起こってくる。そういう悪循環が先進民主主義国で起こっていると私は思っております。
3番目は、にもかかわらず、世界の人類の希望は先進民主主義国にあると思います。なぜかというと、産業化が進展して、産業化した社会の中で唯一の安定した政治システムはリベラルデモクラシーであるからであります。リベラルデモクラシーがいい政府を必ずしも保証するものでないということは、日本の例をみればすぐわかります。アメリカでもそうだと思いますが、どこでもそうだと思います。しかし、最も安定しているということは間違いない。
第2は、事実として経済成長を高度に成し遂げ、かつ今後、情報化時代の技術革新をリードするのは先進民主主義国だけであるという点です。これは公文さんから教わったことですが、19世紀の末の第2次産業革命、いわゆる重化学工業化のときは、ドイツを初めとして日本やロシア――後のソ連――等々が先進国を追い上げていきまして、それが第1次、第2次世界大戦の基底的要因になったのですけれども、現在ではそういう追い上げる国がない。