そういう意味で、先進民主主義国という言葉を使わせていただきますが、先進民主主義国の間では、国家の役割について、あるいは国家の役割は下がってきているということは、部分的にはいえるかもしれません。しかし、世界は先進民主主義国だけでできているわけではございません。国連加盟国 185ある中で、圧倒的多数はそうではない。先進民主主義国に属するといえる国は、OECD加盟国マイナス韓国というと韓国に怒られるかもしれませんが、その程度ではなかろうかと私は思っております。
しかも、先進民主主義国の中でも、国力とか国のあり方というのは一色ではない。ヨーロッパの平和のために合従連衡したときのかつての5大国というのは、フランス自身を含めて、いずれも王制をもったフランス革命に反対する国々でありまして、その意味で基本的に同質的な国だった。文化的背景も同じでした。今の先進民主主義国は同質ではないという意味で、二重、三重の意味で国家は一色ではないというのが第一に申し上げたかった点であります。
第二に、特に日本のことを中心に考えるときは、どうしても先進民主主義国というものが取り上げられると思いますので、私は、先進民主主義国においてグローバリゼーションが進展していることと国家の役割との関係について考えてみました。
三番目は、その中での先進民主主義国の果たすべき役割について、そして最後に日本の役割についてごく簡単に触れるというのが私のペーパーの骨子でございます。
最初に、国家の多面性についてですが、日本について言うと、日本は、比較的早くからエスニックに同質性の高い人たちが、完全に同質であったわけではありませんけれども、少なくとも過去 1,500年ぐらいは、比較的統一された体制をもっております。したがって、権力機構としてのステートと、人々のまとまっている状態を示すものとしてのネーションとの区別が初めから大して問題になっていなかったということがございます。したがって、ほかのアジアのその他の国々と比べますと、ごくスムーズに国民国家の方に移りました。
しかし、人類の歴史をみてみますと、国家というのはそういうものではなくて、いろいろなあり方があった。英語でいっても、機構に即して国家を踏まえるときにはステートという言葉が一番適当だと思いますし、一体感をもった人々のまとまりという点でいえばネーションという言葉が一番適当でしょう。また国際関係の中では強い国のことをパワーといいますし、一つの文明圏全体を統一する巨大な権力機構という点でいいますと、エンパイアというのがよく使われるところだと思うのです。
ところが、17世紀から18世紀にかけて国民国家ができ上がってくる中で、初めてネーションとステートが一緒になる。つまり、ネーションステートになるということが本格的に起こりました。ですから、ネーションステートというのは、人類の歴史の上では比較的新しいものなのです。私たち日本人からみると、昔からずっとネーションステートのような気分でおりますが、人類の歴史をみてみると、これは新しい事態であると思います。