しかし統一通貨ユーロの導入等で欧州がEUを中心に統合を深めていけば、その経済力は米国をもしのぐものとなります。このような状況の下で、私共は、日、米、欧を世界の主要な極と考え、米国のみならず、欧州との関係強化をこれまで以上に図っていこうと考えているわけです。特に、欧州と日本は民主主義、人権擁護、市場経済といった基本的価値を共有するだけでなく、欧州の安定と繁栄は世界全体の安定と繁栄へつながるものですので、尚更日欧関係の強化は重要な課題となっております。」(2)
すでに1989年に日本は国際政治における欧州の増大する重要性を認め、欧州の主要国、欧州の組織やNATOとの関係を発展させた。これは、意見交換や協議にととまらず、日本は、経済的、人的貢献を通じて、「非軍事的な安全保障の供給国」として欧州の再建に貢献してきた。
欧州およびロシアの再建に対する日本の貢献
バルカンにおける紛争は日本の安全保障に直接的影響を与えるものではない。中・東欧についても、日本の企業は、同地域に関してほとんどノウハウの蓄積がなく、地理的にも遠隔であることから、強い経済的関心を持っていない。しかしながら、欧州に対する連帯を示すために、日本はユーゴ問題について多大な貢献をなしてきた。ロシアについては、直接的な安全保障上の関心を持っている。日本の対露支援はコミットメント・ベースでは、ドイツ、米国に次ぐ。しかしながら、日本のNIS諸国、中・東欧諸国、バルト三国に対する貢献は欧州では知られていないし、逆に、EUの共通外交安全保障政策(CFSP)の共同行動としてのKEDOへの貢献(1997年より、5年に渡って毎年1、500万ECUを拠出)は日本ではあまり知られていない。
ユーゴに関しては、日本はその平和維持および紛争後の再建過程への参加は国際協力の機会であるとしてとらえている。同地域の状況は、日本にとって、直接的な安全保障上および経済的なインプリケーションはない。外務省資料によれば、紛争時および和平交渉段階で、1995年11月までに6億5千万ドルを国連平和維持活動に、3百万ドルを国連防護軍による地雷除去に、百万ドルを和平会議の費用およびボスニア-新ユーゴ間の国境監視ミッションに拠出した。人道および難民支援については95年11月までの間、約1億8千万ドルを拠出し、予防外交目的で、紛争地の周辺国、マケドニアおよびアルバニアに資金援助を実施した。
ボスニアの復興については、日本は1996-99年の間、5億ドルの拠出を誓約した。難民の帰還については、1996年に約8千7百万ドル、97年に5千8百万ドル、98年に1、586万ドルを供与した。1996年の国政・地方選挙については、2百万ドルに加えて独立メディア支援に約180万ドル(96-97年)、専門家(2名)、選挙監理要員(29名)、選挙監視要員(5名)を派遣した。97年の市町村議会選挙については専門家(2名)、選挙監理要員(12名)、選挙監視要員(15名)、および150万ドルを、98年の国政・地方選挙については、選挙監理要員25名、選挙監視要員5名、および百万ドルを貢献した。