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地域的諸制度も決してこれと無関係ではなく、世界中に遍在する権力闘争の不可分な構成要素なのだ。地域的諸機関やフォーラムが果たすべき仕事とは、パワーバランスの安定度を更に高めることであり、常に変化する現実の力関係を測定し、微調整するためのメカニズムの精度を増し、更には、多国間で話し合われた兵器管理協定を通じて暴走的な軍備拡張をチェックすることを通じて、地域の、そして世界の秩序の繊細な組織を護持するための権力の行使を後押しする作業なのである。従って、米国の外交政策についての現実主義的展望からすれば、NATOのような組織は、使いようによっては米国の国益を多国間での仕事に組み替える手段を提供するものであり、これによって、米国が大西洋を越えた彼方の紛争地域に兵力を投入する通路が開けると同時に、米国の国家権力の行使を妥当化する道義的枠組として使うことも可能となるのだ。

 

この中にこそ、東南アジア条約機構(SEATO)がなぜ失敗に終ったのかを解明する鍵を発見する可能性がある。現実主義的な物の考えは、アジア型の地域外交の世界とは摺りあわせが難しい。一方では、いわゆる『アジアらしいやり方』というものは存在しない。

この言葉は、政治の世界で、真剣な討論を避けて感情的支持を獲得するために常套手段として使われている。しかし現実には、アジアは余りにも大きく、地理、社会、宗教、文化、政治、経済のいずれの分野を取っても多様性に満ちた世界であり、このような意味での統一的な考え方や内容が存在しうるとは考えられない。東アジアだけを取っても、ここには儒教とイスラムと仏教という文化的に相異なる巨大な地域に分かれているのだ。

 

しかし他方にはASEAN(東南アジア諸国連合)のようなやり方がある。それは結果でなく過程を重視するやり方だ。非公式な手段を大切にして、公式の組織を使うのは必要最低限度に抑え、誰をも排除せず、コンセンサス形成のためには集中的に討議を重ね、参加国の主権意識には細かい神経を使う。ASEANは、域内問題の解決に際しては、外部から持ち込まれた処方箋に対しては懐疑的である。そこで中核役割を果たすものは、長年月にわたって各国の首脳の間で育まれた個人レベルの関係である。公式の諸制度よりも、エリート指導者層内部での交友関係がより重要であるが、これは、コンセンサス形成が重視され、参加者のすべてが安心できるようにその形成にはゆっくりとした時間が費やされるからだ。

 

地域機関や国際機関の設置は、権力外交が生み出す問題の故に必要となる。しかし、地域機関が自主性を持って行動する可能性を否定する現実主義のパラダイムと、これとは革命的に異なったパラダイム、すなわち、国家主権の行使者に代わって、全ての人が認める人類の福祉についての概念を体現した道義的社会を前面に出す新しいパラダイムとの中間にこそ、国家は地域の道徳基準に従わねばならぬとするASEANが指し示す道徳秩序がある。

 

 

 

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