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安全保障政策を下支えしているコンセプト

Conceptual Underpinnings of Security Policy

 

米国の外交政策の三つの偉大な歴史的伝統に、孤立主義と、モンロー主義と、ソ連邦に対する封じ込め政策がある。それでは特にソ連の脅威が存在しない場合には、米国が積極的に自余の世界に関与してゆくためには、一体どのよな理念の下支えが可能なのだろうか? もしそんな理念は無いというのが答であるならば、世界の隅々の地域に広がる米国の国益をどのようにして調整し、整合性のある全体に投合しうるのだろうか?

すでに論じたように、もし米国政府がNATOの拡大を下支えするための明確に聳える理念上の、或いは子細に分析された戦略的枠組を持ち合わせているのならば、それは我々にはなかなか見え難いと言わざるを得ない。ヨーロッパの民主主義と安定性の定着を計る、といったお座なりの説明では、米国の国益が容赦なくアジア太平洋地域に移りつつあるこの時代にしては、余りにもヨーロッパ中心的で大西洋偏重的であろう。NATOの拡大運動の背後にあるナイーブな意味でのネオ・ウイルソン主義の衝動は、まるで調和と善意が米国のゆるやかなリーダーシップの下でヨーロッパ全土に充満することを期待しているようだ。

 

現実主義的で甘さのない計算によれば、米国の軍事力は、ヨーロッパの主要な同盟国が新しく身につけ兵力投入能力によって強化されて、悪党政権に米国の武力で対応するために使われる。しかし、以上のいずれの場合をとっても、簡単にアジア太平洋地域に転用できるわけではない。中国、日本、ロシア、インドネシア、インドといずれをとっても、その国益と諸制度は米国の一人よがりなリーダーシップと覇権の下ではうまく言いなりになるわけではない。米国の指図の下でのIMFの公式融資政策に対するマレーシアの挑戦や、インドとパキスタンによる核兵器覇権国家に対する対抗、それに、北鮮による日本本土を飛び越えての弾道ミサイルの『正面切って』の飛翔など、どれを取っても、パックス・アメリカナ的支配を拒否する意味が込められれているではないか。

 

現実主義のパラダイムによれば、国際関係のあり方を決定するものは、基本的には『権力は力』以外の何物でも全くあり得ないのだ。グローバルな外交環境の最も顕著な性格はアナキズムの支配である。国際的なレベルでの有効な統治機能が存在していないことから発生する無法状態は、パワーバランスのシステムによってカオスに陥ることをかろうじて免れているのだ。そしてその場合、余りにも強い権力に対する唯一の効果的な抑制力とは、これに対抗できる別の権力なのだ。

 

 

 

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