もしNATOが東に向かって拡大したとすれば、ロシアは自らの注意を同じく東に向けることでそれに対応できるというわけである。中国はロシアにとって巨大な軍事資材の市場となりうる。ロシアの共産党は、これ以外にも、中国が共産党の指導の下での経済改革と近代化に成功したモデルとしても関心を寄せているのだ。
1997年の4月23日の、江沢民とエリツィンの首脳会談の席上で発表された『多極世界と新国際秩序の形成に関するロシアと中国の共同宣言』は、すぐさま(恐らくは誤解に基づいて)西側の新聞報道では中国ロシアの戦略的パートナーシップという名で報道されたのだったが、アジア太平洋地域の諸国間に、国際パワーバランスの変化に対する不安を掻き立てたのだった。この宣言は「いかなる国家も、覇権を求めたり、武力外交に走ったり、国際関係を独占的に利用してはならない」と謳いあげたのだが、米国側は、北京とモスクワとの間の和解は歓迎すべき動きであるとの主張に終始したのだった。日本やフィリピン、および他の東アジア諸国はしかし、この共同宣言はアジア地域に対して米国が提供している安全保障の傘に対す事実上の挑戦であるとの危惧を表明した。フィリピンの参謀総長のアルヌルフォ・アセデラ大将は米国が不必要なまでに中国の利益を擁護していると非難している。日本の高官は、日米両国は今こそ緊密に協力して両国間の戦略的協力関係を改善すべきたとのコメントを発表し、今一人の高官は、今回の中国ロシアの戦略パートナーシップが、中国との間に日本が抱えている尖閣諸島の問題や、ロシアとの千島列島をめぐる領土紛争に悪影響を与えるのを恐れると述べている34。
ここで問題となるのは、NATOの拡大がロシアに与えた屈辱が、単にロシアだけではなく、西側諸国の中国に対する交渉力を、次の四つの理由からしてどこまで削いだかという点なのである。すなわち、それは中国のロシアに対する恐怖心を緩和した。そしてそれは、弱い立場から西側諸国と話し合う必要はないのだとの中国側の決意を固いものとした。
これに加えて、中国にとってみれば、一国が自らの権益を守る場合にとるべき唯一の方法は、強い国力を前面に押し出すに限るのだという結論を出しても誰にも批判を受ける理由はないのだ。かくしてそれは、西側諸国が対中戦略ゲームで『ロシアカード』を使う可能性を封じてしまったのだった。それはまた、アジアの全ての国々に対して、上昇を続ける中国の国際的地位と権力との妥協経の圧力を増加させたのだった。
長期的には、今世紀を通じてダイナミックで流動的な変化を続けてきた太平洋地域のパワーバランスに、NATOの拡大の後遺症がどのような影響を与えるかが、これが生み出す最も重要な帰結となろう。1998年度のクリントン大統領の訪中時の声明や、その後帰途に日本への訪問を行わなかったという事実は、米国とアジアの主要な同盟諸国との間の安全保障問題に関する協議メカニズムの活力を削ぐものとして受け取る筋が多かったのは特筆に値する35。