しかしアジアでもその輪郭は変化を遂げつつある。これから10年間前後の間に、政策立案能力と実施に関わるスキルの開発と涵養がこの地域の諸国家の生存と繁栄のために必要となる。今後のこの地域の、そしてグローバルな通商環境の下では競争が激化する上、戦略的環境には不確定要素が増し、後継者を巡っての政治的不安定を抱える近隣諸国の存在、それに加えて、グローバリゼーションの挑戦が生む不安感がすべての国々で顕在化している。
ヨーロッパで達成されたような制度化され安定した安全保障のシステムをアジア太平洋地域で実現できるのはまだ遠い将来の話に見える。太平洋地域の国際関係は、大西洋を挟んで起こった幾多のストレスをも克服して安定した関係を構築してきた西側のそれに比較できる制度的構造を持ち合わしてはいない。大西洋を越えて成立した多国間構造は、米国のヨーロッパに対する軍事的責任を中核部分としている。米国軍事力の太平洋地域でのプレゼンスを妥当化する理由も、ヨーロッパの場合と同様な簡単明瞭さに欠けていた。この地域での安全保障秩序は、時代遅れの冷戦時代の枠組と、未だ揺籃期にあり、現実世界の試練を受けてはいない地域主義的アプローチとの間で未分明な状況に置かれている。
アジア太平洋地域での経済復興と繁栄と平和と安全保障の追求は急速に進んでいる。低レベルの地域紛争に耐えるこの地域の多くの国々の間には、社会経済的ひ弱さと政権の脆弱性に悩むものが多い。社会福祉と経済成長との間のギャップは、アジアの場合ヨーロッパよりはるかに大きいのだ。アジア太平洋地域全体にわたって、文化的、政治的な意味での階組分化はより深刻であり、その差がはげしい。アジア太平洋地域ではまた、多種多様な政治システムが存在していて、インドの健全で活発極まる民主主義から、バングラデッシュ、ネパール、フィリピン等のひ弱な民主主義まで、更には完全な民主主義とは言えない状況の多くの他の国々、これに加えて三つの国では共産主義が未だに政権を維持している。旧ソ連内部での事態の展開は東ヨーロッパに直接的で極めて深刻な影響をもたらしたが、アジアの共産主義諸国では比肩しうるような変化を生まなかった。これは、ソ連とこれらのアジアの共産国との関係は、東ヨーロッパのソ連に従属した国家とは事情を異にしたからである。共産主義は東欧ではソ連の赤軍の武力と銃口によって強制的に制度化され維持されてきたのだった。アジア共産主義の生命力は、ある意味ではそれが民族主義と結合したことから生まれたと言える。従って、東欧のソ連衛星国の場合にはソ連の共産主義の崩壊がドミノ現象を引き起こしたが、アジアの共産主義国の場合は、生き残りに関しては独自の能力を保持していたのだ。
兵器管理と軍縮の分野でのヨーロッパでの成果に比肩できる実績はアジア太平洋地域には見当たらない。事実、1997年に起こった金融危機までは、アジア太平洋地域は、世界でも数少ない軍備拡張と軍事支出増加地域の一つであったのだ。