この抗争が過去の常識を超えたものであった理由は、それが対立する二つのイデオロギーの衝突を生んだからであり、強靭なマルクス主義国家と資本主義国家が相互の間に長期安定した関係を拒否し、互いに相手を究極的に破壊しようという信念を持ったのであった。フランシス・フクヤマの、冷戦の終結は歴史の終りであるとの一見滑稽な主張がなされたのもこのような背景があってのことである。
しかし、イデオロギー闘争は終焉し、冷戦時の相互抑止の構造はもはや時代遅れとなった26。今や、米国、ロシア、あるいは中国のいずれかが互いに核攻撃を開始するなどという考えは最早単なる幻想にすぎない。次の十年間には、モスクワとワシントンの間の関係のあり方を構築する上で核兵器が持つ影響力は、1945年以来のどの時期よりも減退しよう27。
超大国の相克関係に依存した世界秩序の枠組は1945年にヤルタで採択された。第二次世界大戦の二つの戦場を反映して、この世界秩序はヨーロッパとアジア太平洋という二つの構成部分から成り立っていた。ヨーロッパの秩序の主要な構成要素には次のものが含まれていた。
(1)東ヨーロッパに対するソ連の戦略的、政治的支配の維持
(2)東ヨーロッパでの圧倒的で近距離でのソ連軍事力の存在は西ヨーロッパの安全保障への脅威であるとの、西ヨーロッパ諸国の考え
(3)ヨーロッパ自身のパワーバランスでは最早実現が不可能となった安全保障の条件を維持するために、米国との間に明示的で制度化された同盟関係を維持したいという西ヨーロッパ諸国の希望
(4)共通の利害と、これとは別個の価値意識の共有によって、政策や利害関係の相違から生まれる緊張関係を吸収することを通じての同盟関係の強化
(5)戦争の原因ともなった、ドイツの国力という問題を、冷戦の両陣営によってドイツを物理的に二分割することによる解決の受容
今日、ドイツは統一された民主国家であり、その意味ではイギリス、フランスや米国と道義的には対等の地位を獲得し、日本やロシアと政治的に対等の立場にある。ボンからベルリンへの首都の移転は、第二次世界大戦以来最も注目すべき移行と変身の歴史的事例の完成である。
旧時代の世界秩序は消滅したが、新しい時代の世界秩序は未だに確定してはいない。ヤルタ条約に基礎を置くヨーロッパ秩序は崩壊したが、アジア太平洋では事情が異なる。