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大国の興亡の歴史を専攻する史家のポール・ケネディーは、NATO拡大の決定を1925年のロカルノ条約で英国がフランスとベルギーの東側国境線を不運にも保障したという史実に対比している。ケネディーは、いずれの場合にも、大戦争の結果誰もが将来の安全保障についての不安を何とか解消させたいという思いを強く抱いたという事実があったという。戦いに敗れた大国は「国際社会への復帰への願望と敗戦と屈辱の苦渋との間に苦しんだのである13」また敗戦国のかつての帝国主義の桎梏に苦しんだ近隣諸国は国際社会が今後の自らの安全を保障してくれることを希望した。しかし、戦いに敗れた大国がこのような国際的安全保障が提供されるのを阻止することができない場合には、それが結局どのような長期的結果を生み出すのかは誰にも見えないこととなる。

1920年代にワイマール共和制下のドイツが西側に提供した妥協がまさにそれであり、その結果1930年代のドイツ国内では強烈な民族主義運動の火が燃え上がったのであった。

NATOへの参加が新規加盟国の民主主義を強固で確実なものとするというのは民主主義への移行過程に関する史実から見ても珍奇な仮説である。かつてのソ連帝国の域内の国々で民主主義と自由な市場経済制度を強化するという目的を達成するために、冷戦が生んだ軍事同盟がなぜ適切な制度なのだろうか? もしその目的とするところが、国内の反民主主義勢力や、外部からの主権への挑戦といった問題を抱えている加盟希望国を後支えすることであるのであれば、最も弱小で民主主義的発展が脆弱な国を選んで加盟させるべきであるのに、事実は、中欧東欧地域の加盟希望国でも最強の国を選んでいるのだ14。戦争遂行のために組織された軍事機構が民主主義への移行を促進する触媒の役割を果たしうるという仮説は理論的興味をそそる。危機状態にあるロシアがヨーロッパの辺境に不本意に取り残された状態に置かれることが大陸全体の民主主義の強化につながるとの判断は歴史の事実に照らしても問題が多い。ドイツと日本は第二次世界大戦後に戦勝国側の組織に組み込まれたが、この結果、両国の民主主義制度はかえって社会に定着し、その後の数十年間に起こった西側陣営内部での軋轢に耐え得るほど強靭なものとなったのだ。ワイマール政権下のドイツに対して、第一記世界大戦後に構築された安全保障機構からの懲罰的な隔離政策がとられた結果、ドイツ国民に間に鬱積した憤懣は、民主主義からファシズムへの移行を促し、ナチ政権が計画した不満解消の行動計画が支持され、遂に第二次世界大戦の勃発に至ったのだ。

 

多くの拡大政策批判者は、NATOの拡大は、ドイツの場合と同様に、エリツィン大統領の健康不安が政情を著しく不安定にしているロシア国内に極右の民族主義的、反西欧的な軍国主義的集団の勢力を強化させる公算が多い15。それは東西関係を再び冷戦的状況に似た冷却状態に逆戻りさせかねず、START 2条約のロシアによる批准を危うくし、核兵器削減の努力の今後の推進を頓挫させるかもしれない。予測可能な限りの将来において大規模な紛争が惹起する可能性は極めて少ないので、冷戦の終結が約束したポスト冷戦時代の夜明けを、結局はロシアに対する以外にはない新しい軍事連合にどの国が加盟するかといった問題で危険に陥れてはならない。

 

 

 

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