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最後の論点はユーロの為替政策である。ここでは、第1の問題は責任に関するものである。この点を規定した欧州の諸協定では、金融政策はECBにより実施されるが、為替政策--および特に為替相場制度--は欧州蔵相理事会の下にあることを認めている。蔵相理事会は、「物価安定の目的に反しない限り」、完全な行動の自由を有している。

責任の分担は、理論的には明快であるが、実際問題としてはそれほどはっきりしたものではない。そしてここでも、ドイツにおける最近の政治的変化が、今後待ち受ける困難を示している。ドイツの新内閣の第一声は、円、ドル、ユーロの3大通貨の間に「目標通貨圏」を設けることを支持するというものであった。ECBはすでにそのような取極めには賛成しないことを明確にしている。そうした取極めを支持しない経済学者のよく知られた議論や、行動の自由を制限すると考えられるそうしたシステムへの中央銀行家のよく知られた消極的な姿勢といったことだけでなく、為替レートの目標相場圏設定に関する論争は、言うまでもなく、金融政策スタンスの基本方針をどのようにすべきかについての突っ込んだ議論を映じたものである。

実際、例えばドルに関して目標相場圏を設けるのは、欧州と米国で決定される金融政策の隔たりが長期的に縮まるはずであることを意味する。現状では、それは、遅かれ早かれ、ECBが、米連邦準備制度理事会の決定したより緩めの金融政策に合わせて、その金融政策を緩和しなければならないことを意味する。ある意味で、そのような提案の背後にある動機が少々気になる。というのもそれらの動機は、欧州の経済政策立案者の側からみれば自分たちの中央銀行に対するある種の不信があり、少なくともある程度まで外国の政策に縛りつけておきたいと考えていることを示しているからである。せいぜいよくいっても、彼らは、ECBに世界の他の中央銀行と協調するよう強制したいと考えており、最も悪く考えれば、外国で決定されたものに従うことを望んでいると言える。

一方、ECBがそのような制度を受け入れたがらない原因は簡単に分かる。ブンデスバンクには、自行の実施する金融引締め政策と、ブレトンウッズ体制やEMSといった「目標相場圏」型の通貨制度の組合せから生じる資金流入の効果を不胎化するという長年の伝統があった。中期的には、完全な不胎化と目標相場圏制度の両方を維持することは明らかに不可能である。この2つのいずれか一方を選択しなければならない場合、ブンデスバンクは常に制約となる制度の放棄を決定した。従って、ECBは、為替レート取極めに対する懐疑精神という長年の伝統を受け継いだと言えよう。

実際これは、ブンデスバンクの遺産の重要な側面である。この遺産は、自家生産し、自家醸造されたものであり、明確な国内目標を自行に課し、ドイツを外国の金融的な混乱から遮断する能力に根ざしている。問題は、ECBが目標相場圏制度に対する消極姿勢を受け継ぐと同時に、この遺産をどの程度受け継ぐことができるかということである。従ってここでも、議論は要するに遺産に関することになる。この遺産は当然受け継ぐことができるものと考えるべきではなく、しっかりした政策立案を通じて獲得されなければならないものである。他の通貨との間で正式の目標相場圏制度を導入すれば、ECBが負けたと見なされる公算が非常に大きいだろう。そうした判断は、明らかに時期尚早である。

 

以上が共通の金融政策実施に至る過程での主たる難問であると筆者は考える。これらは大きな障害であるが、それだけで通貨圏としてのユーロ圏の最終的成功について懐疑的になるような類のものではない。これまで欧州統合の過程では、非常に大きな障害(1992〜93年の通貨危機はその一つであった)に直面したが、それらを乗り越えてきた。しかし、通貨統合への道のりにはまだ困難が横たわっており、ユーロが前進する過程でそれらを除去しなければならない。それらを無視するわけにはいかない。

 

 

 

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