フィナンシャル・タイムズ紙は、下限に言及せず上限を設定することは不適切であると反論している。「下限なしにインフレの上限を2%に定める決定は、(...)誤りである。ドイゼンベルグ総裁は、ECBはインフレだけでなくデフレにも注意していると主張している。上限までは物価安定の範囲内としている以上、インフレが適切に測定され、下限が存在しないとすれば(...)欧州の中央銀行家の世界には、インフレ率が低すぎると信じるに足る理由はほとんどないことになる」(1998 年10月15日付フィナンシャル・タイムズ紙)。ECBの発表を注意深く読み込み、同行が言っているのが「前年比変化率」ではなく2%までの「前年比上昇率」なので、実際には0%ないし2%の変化(0%未満であれば「下落」となる)を意味していたとし、従ってデフレを回避する下限目標を暗黙に設けていたと論じられるかもしれない。しかし、ECBとフィナンシャル・タイムズ紙(決して高インフレ支持者ではない)との間にコミュニケーションのずれが生じたことは、独立した中央銀行が存在するだけで民間部門と金融当局との間に自動的に明確に意思が疎通するわけではないことを示唆している。「レジームの安定」は、中央銀行の独立性から自動的に生じるものではないのである。
かかる問題の一部は、ユーロ圏において実際に金融政策を実施することの困難さと関わりがある。通常の「レジーム」では、各参加者は行われているゲームを熟知している。しかし予定されているユーロ圏では、多くのパラメータがまだ判明していない。構造的変数や戦略的変数のために、我々は考えうる各種金融政策手段の正確な影響、ないし大雑把な影響すらわからない。構造的変数には、ユーロ発足後のTARGET(欧州の即時グロス決済システム)を通じた各国短期金融市場の統合が含まれる。これによって、政策決定(例えば金利変更)を与件としてそれに対する国内資金需要の反応が変化することになろう。戦略的変数には、ECBの金融政策に関する発表を巡る民間部門の解釈や、その決定に対する民間部門の反応についてのECBの解釈が含まれる。言い換えれば、ゲームだけでなくその参加者も未詳であり、「レジーム」もこれから明らかにされなければならない。
こうした難しい問題を踏まえると、ECBが今後数カ月間に何が起きるかを完全に理解し、掌握していると主張するのは、ばかげたことであろう。このような場合、「自然な」傾向は、金融当局側の秘密主義である。情報を抱え込み、潜在的な動きについて慎重な見解を述べようとする誘惑が大きい。その結果、「事態を楽観的に見がちとなる嫌い」が生じるのかもしれない。すなわち、悲観的な予測は金融緩和につながるため、金融を緩和しないことに腐心すればECBは必然的に楽観的になる。世界経済の混乱にも拘わらず、ECBが最近、楽観的な見方を示しているのは、こうした事情によるのかもしれない。さらに評判を気にすれば、一層の秘密主義につながるかもしれない。仮に今後数カ月間に物価とマネーサプライとの間の新たな関係が観察され、不適切であることが判明するような目標をECBが公約したとすれば、評論家はこれに乗じて同行マネージャーたちの判断の正当性に疑問を投げかけるかもしれない。このため、ECBの目標や手段に対する態度は、通貨集計量目標を小出しにし、インフレ率の範囲を相対的に曖昧に規定し、その他の経済指標を秘密裡に考慮するといったことになりかねない。さらに、役員会の議事録を公表しないとの主張につながるかもしれない。