ロシアは当初この拒否回答に対して、NATOとの「平和のためのパートナーシップ(PFP)」条約の締結を延期することで応じた。
また、ロシアは軍備管理条約の批准を止め、CSCEの原則を利用してNATO拡大を阻止しようとしたが、ロシアの力と影響力を弱体化させる新たな欧州の状況に徐々になじんでいった。モスクワでは「ユーラシア・オプション」または「アジア・オプション」(すなわち、西側から手を引き、中国、中央アジア、中東に専念すること)を主張するものもいた。プリマコフはロシアの国益を追求する、より明確な外交政策の主唱者となった。すなわち、1990年以降失った中東・東洋諸国との友好関係を取り戻すために、中国、カザフスタンその他中央アジアの旧ソ連諸国、イラン、イラク、シリアとの特権的協力関係を追求することである。だが、そのような「アジア回帰」は欧州や米国との関係に取って代わることにはならず、失ったものを埋め合わせることもできない。NATO拡大がそのような発想の原因や主たる理由でないことは明らかである。ロシアは西側全体との協力に依存している。それはロシアが置かれた国際的状況の大きな特徴である。中国との協力は必要であり、有用でもあるが、戦略的、政治的意味は言うまでもなく、経済やテクノロジーの面でもバランスの取れたグローバルな力の配分という点では十分ではない。一方、米国のグローバルな規模の世界政策にとって、欧州における米国の同盟及び地域的コミットメントとしてのNATOはそれほど大きなものではない。欧州NATOとしてのNATO拡大は、欧州だけでなく、米ロ両国にも重要だと思われる(米ロは欧州における東西対決の構図が終了しても支配的存在だからである)。しかし、欧州の東西関係がロシアかユーラシアのいずれか一方に振れることや、まして北米だけに振れることはほとんど考えられない。NATOは東西対決の時代には有用な機構であったし、現在も移行期にある欧州の安全保障の基盤であるが、21世紀初めにおいて決定的な政治的、経済的要素となるのはEUであり、NATOではない。
欧州及び欧州域外(欧州配備のNATO軍の及ぶ範囲内)の平和維持手段として、NATOの将来の有用性を考えると、ある特定の時点にNATOが取れる選択肢の幅はロシアにとり大きな関心事であり、それがロシアの行動できる範囲を左右する。ロシアはいまもこの新たな現実に慣れ、ロシアが有する特に有利な関係(マドリードで最初のNATO拡大を決定する直前の1997年5月に、1993年〜1996年のNACの主張に反してパリ「基本文書」で認められたもの)を利用しなければならない。この点に対してロシアは否定的な態度を取っているが、ロシアの利益を考えれば、モスクワはほとんど確定した既成事実に適応していかなければならない。ロシアは正式な形ではなくても、事実上これを受け入れることで、ロシアの政策決定者や戦略決定者が懸命に回避しようとしてきた事態から、かえって利益を受けられるかもしれないのである。