ソビエト・ロシアの旧同盟国が東側から西側に移り、NATOに加われば、この<兵力>均衡条約は根拠を失うことになる。解体した旧東側同盟の領土にNATOが拡大すればそのような影響が出、その結果、条約で定めた<兵力・兵器の>上限及びその他の規定を修正しようとNATOが考えるのも当然である。しかし、旧東側同盟国は<NATO拡大を認めないロシアの>この主張の政治的論理を認めなかった。それはNATO加盟を希望する国の主権の行使を否定することになるからである。そこで<旧東側同盟国の>NATO加盟に対するロシアの「拒否権」も、NATO拡大に対するケース・バイ・ケースの「考慮権(droit de regard)」も、西側は受け入れなかった。もちろん、当事国も認めなかった。これらの国はNATO加盟を特に強く望んでいたからである。こうして、NATO拡大に対するロシアの異議及びロシアの主張は、最終的には潰れた。全ての「外部帝国圏」を喪失したロシアは、東欧に対する影響力を失い、「内部帝国圏」の西部地域(クリミアを含むウクライナ、ベラルーシ、モルドバ、バルト3国)も中はバラバラで、軍事力もかなり低下した。軍隊は無秩序で、一方的な軍縮によりさらに縮小した。その結果、ロシアは核戦力を除けば、この冷戦の結果を修正する手段はなくなった。<西側との>国境は1991年に比べて東に600〜1300キロ移動し、欧州でNATOに対抗するための貴重な軍事的基盤を全て失い、ソ連時代の旧ロシア連邦共和国に比べて中央アジアとの国境が約6000キロ加わった。その結果、ロシアには実行可能な軍事的選択肢はなくなった。そこで、現在もそれ以前も、ロシアはその政治的主張と脅威を軍事力により裏打ちすることができなくなったのである。抑止力はほとんど残っていない。
それ以降、欧州におけるロシアの立場は改善していない。エリツィン大統領が「10月の手紙」を出して以降の5年間に、ロシアの立場はいっそう弱まり、影が薄くなったとさえ言えよう。また、ロシアにはNATO加盟を望むほとんどの国の加盟承認に反対しようにも、西側に対する十分な影響力がない。例外があるとすれば、バルト3国とウクライナである。NATO諸国は1994年1月に、NACとの交渉を準備するためにNATO加盟を希望する多くの東欧諸国(特定はしなかった。)を招待することを決めた。また、CSCE加盟国のほとんどに対して、全ての旧ワルシャワ条約加盟国と「平和のためのパートナーシップ(PFP)」を構築することを提案し、これはNATOと各パートナー国との間で合意することとされた。
一方、モスクワはその一般的申し出と両立しない条件を出して、特に有利な関係の確立をNATOに求めた(これは、欧州諸国やCSCE加盟国の内部で国家の上下関係を確立するものであった)。しかし、NATO諸国はモスクワに対して有名な「5つのノー」で回答した。すなわち、「拒否権を認めないこと、考慮権を認めないこと、他国の安全保障に対する共働管理権を認めないこと、権益地域を認めないこと、特権を認めないこと」である。