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ロシアはロシアの「特別な責任の領域」(1993年のエリツィン発言)を要求したが、西側はこれを考慮することを拒否し、予想される(が、具体的な計画段階にはない)NATOの東方への「拡大」または「開放」を継続するとの決意を見せた。

 

そこで、エリツィン大統領はただちに慎重に言葉を選んでロシアの立場を明らかにした。エリツィン大統領は、1993年秋に米英仏独の主要4ヵ国の国家元首や政府に宛てた手紙の中で、ロシアは欧州における軍縮と戦略兵器削減に関して1990年〜1991年にソ連と<これらの国で定めた>合意(ドイツ再統一の際にCFEパリ条約[1991年11月]に基づき定めた「均衡」)から脱退すると主張した。さらにエリツィン大統領は、NATOの東方拡大は「欧州の戦略的バランスを崩す」ことになると述べた。エリツィン大統領はドイツ首相宛の手紙で、ジェイムズ・ベーカー米国務長官は1990年2月にゴルバチョフ書記長と、NATOは当時存在する国境を超えて拡大しないこと、すなわち西ドイツ国境までに限ることに合意したが、NATOのドイツ以東への拡大はドイツ再統一前にソ連と合意した国際的な「現状維持」を崩壊させるものだと述べた。多くのロシア高官が公式の場で法律論的な議論をしたが、一応はもっともなことだった。というのは、1990年初めの時点で<その後>ソ連やワルシャワ条約がなくなることなど、誰も本気で考えなかったからである。したがって、ベーカー国務長官のいかなる約束も西ドイツの領土だけを指すものであり、それを超えることは意味しなかった。しかし、政治的な意見を無関係なものとして、簡単に無視することはできない(NATO加盟国は1993年以降たえず無視してきたが)。もちろん、ゴルバチョフ書記長がソ連やワルシャワ条約の崩壊を予測し、そのような変化に対する対抗措置を取り、西側に対するロシアの国家安全保障上の利益を確保する必要を認めていたなら、彼は全てのワルシャワ条約加盟国を<NATO拡大を認めない地域に>含めただろう。そこで、モスクワは、ロシアはソ連の継承国としていかなる旧同盟国のNATO加盟も拒否する権利を有すると主張した。モスクワは、東ドイツが西ドイツに統合されたドイツ再統一後の1991年<訳注:正しくは1990年>に結ばれたCFE条約(欧州全域における通常兵力及び重火器に関するもの)に対する見解でも、この主張を述べた。CFE条約はワルシャワ条約加盟国(「グループ」と呼ばれた。)とNATO加盟国(これも「グループ」と呼ばれた。)の間で結ばれたもので、欧州全域における(すなわち、両同盟または両陣営の間の地政学的現実における)兵力及び兵器の「集団的」均衡の「上限」を設けたものである。

 

 

 

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