もう1つの理由は、予測できる将来に少なくともポーランドがEU加盟に必要な経済や財政上の障害を克服することは不可能であり、21世紀に入って間もない時期にEUの加盟基準を満たせる可能性があるのはチェコだけだという点である。
計画した2つの拡大「過程」に格差が生じたことにより、軍事・経済2つの同盟を拡大する戦略としての「並行主義」が実現不能になるだけでなく、「安定の移転」自体も失敗し、優先課題が逆転することになる。NATO諸国の政府が1992年以降の拡大政策を定めたように、政治的な「安定」とは、東欧における「ソ連解体後、脱社会主義後」の不安定な秩序から「自由主義的民主主義と法の支配による市場経済」への「移行過程の安定」を意味するものである。したがって、EUの拡大はそのような安定を確保するための格好の手段であり、最高の優先順位を持つものである(これは明らかにEUのマーストリヒト条約とアムステルダム条約の論理に沿うものであり、これらの条約ではこの目的のために、この意味での「共通外交政策と共通安全保障政策」の目標が策定された。)。一方、NATOの拡大は宣言された政治的目標の達成にはほとんど役に立たない。なぜなら、NATOは(トルコや1974年以前のギリシャやポルトガルに対してそうであったように)国内秩序には介入しないし、ある国の経済・社会・政治体制の根本的移行はもちろん、国内政策に対しては、間接的に影響を与えることができるだけだからである。
これはNATO拡大政策の意義を軽んずるわけではない。これまでにNATO加盟が認められた国は、トルコを含めて全て民主化への道を進んできた。EUやWEUの場合と同様、軍隊に対する文民の統制と軍内部の秩序は、「市民的民主主義」と両立するものであり、NATO加盟国が全ての加盟候補国に課す条件である。また、これは「欧州安定化条約」(米ロを含むOSCE加盟52ヵ国が1995年5月<訳注:正しくは3月>にパリで採択)に定める「安定化」保証を含む加盟承認政策でもある。とはいえ、NATOがEUに代わって<加盟候補国の>民主主義的秩序を促進させることができないのは明らかである。1950年代から1970年代にかけてNATO加盟国中3ヵ国で独裁的支配が成功した例は、NATOに加盟することが民主主義に移行する約束を早期に達成する保証にはならないことを示している。これがスロバキアを1998年のメチアル政権の任期切れまでNATO拡大から除外する理由の1つである。スロバキアは「ビシェグラード(Visegrad)協定」3ヵ国の1つだった「チェコスロバキア」の一部であり、1993年にはブリュッセルの<NATO本部>でNATO加盟が検討されていた。
一方、オーストリアは国内の政治的理由や中立主義(1955年以降オーストリアの唯一の正当な国際的立場)及び単に便宜上の理由から、拡大NATOへの参加を望まなかった。