NATO側は、自らの組織の拡大に関する決定についてロシアに拒否権を与えることは出来ないが、少なくとも、NATOの意図についてロシア側が抱く不安感を和らげる手だてを実行に移すことはできる。この中には、平和時に旧ワルシャワ条約国に配備されるNATOの兵器システムや軍隊の内容についての公式宣言が含まれてよい。筆者は、この際核兵器や中距離、遠距離ミサイルシステムは一切配備されない旨を公約すべきだと考えている。また、同様の兵器システムがこれらの国々で開発されることもあってはならないだろう。このような規制は、武器、攻撃ヘリ、その他の戦闘用航空機にも適用されるべきだ。また、軍事演習には規模と範囲の制限を設け、十分な事前通告がなされることが必要だ。このような諸制限と同時に、信頼と安全保障を育成する努力(CSBMs)の完全なセットの内容についての合意が、OSCE(6)加盟国の間で形成され、徹底的に遵守、実行されるべきだ。これも筆者の私見だが、NATO当局も、その加盟国も、ロシアや、その他の旧ソ連国家に対して何らの侵略や失地回復の意図は持ってはいないことを事細かに示す諸原則の宣言を行うことを是非勧めたい。
上に示した一連の措置を講じたとしても、ロシア側のパラノイアはまだ納まらないかも知れない。というのは、ヨーロッパとは直接関係のない事象までがロシアが抱く恐怖心を煽りたてる傾向があるからだ。崩壊に近いロシア経済自身の状態、インドとパキスタン両国による核実験、北鮮による宇宙衛星の打ち上げと、それが原因で見直されはじめた戦域弾道ミサイル防衛(TBMD)、や朝鮮エネルギー開発プロジェクト(KEDO)などがその例だ。これら一連の動きに対して、学者であり軍人でもあるロシアの事情通は、「ロシアは西でも東でも孤立を余儀なくされているが、西ではNATOの拡大が、東では其の地域内で起こっている諸事情が孤立の原因となっている」と述べている(7)。
いま一人のロシアの学者は、NATOの拡大は、ロシア全国の意思決定に関わる政治上層部の間で、イデオロギーの如何を問わず一致して反対の立場が表明されている唯一の問題だ。全てのロシア人がNATOの拡大に反対していて、この問題に限ってロシアは団結しているのだ....と。同氏は更に続けて、ロシアは東では経済的に孤立しており、アジアのロシア領土は中国と日本によって窺われているのだとも言っている(8)。この学者はしかし、NATOの拡大問題は、政治指導者の間では大問題だが、ロシアの一般大衆にとってはそれほど重大な争点だとは受け止められはいない、とも述べている。
NATOの拡大問題は、単に米国、ヨーロッパとロシアだけの問題では無いのだという議論もある。ヘンリー・キッシンジャーは、「ロシアは動き出した。しかし、それはヨーロッパ側のロシアではない。この国はアジア、中央アジア、そして中東とも国境を接していて、これらの地域でのロシアの政策が、NATOが持つ諸目的と協調関係を維持していくのは困難である」と述べている(9)。従って、NATOの指導者が、今後ロシアに向かっての組織拡大を計るに当たって、ロシアのアジア政策に与える影響や、その反動がヨーロッパの安定と平和にどのような形で及ぶ恐れがあるかについての配慮に欠けるとすれば、それは到底思慮ある態度と言えまい。