もちろん、アムステルダム条約にも期待外れの点はあります。特に防衛問題、条件付き多数決が十分拡張されなかったこと、司法および内政に関する新協定締結が遅れていることなどです。交渉の終結が18か月ほど遅れていたら、もっと違った結果になっていただろうと推測する向きもあるでしょう。英国の新政権は防衛に関する構想をまとめる時間が得られ、大きな進展が成し遂げられていたかもしれません。ドイツには国内各州の圧力から比較的自由な新政権が誕生し、最後の細かな失望点のいくつかが解消していたかもしれません。
アムステルダム条約で、EUは「臨界質量」に達しました。なぜなら、既に達成されたこと、条約に盛り込まれたことのリストの方が、これから成さねばならないことのリストよりはるかに長いからです。今後のいかなる政府間会議の計画書も、少なくともページ数ではこれよりはるかに短いものになるでしょう。
「臨界質量」の概念は、統合拡大について考える際にも議論に上るでしょう。統合拡大の正確な予定や見通しを議論することももちろんできますが、EUは多くの人がこうあるべきだと考える欧州へと至る道程にあるのです。この過程は、1990年代初頭にユーロの導入を目指して開始された過程と同様に、確実に始まっています。EUの発展を、米国の発展になぞらえて論ずるのは危険です。両者に類似点は少なく、19世紀中葉の反響があるだけだからです。正確な国境については議論がついておらず、開発も進んでいなかったにもかかわらず、当時米国は国力の充実を感じ始めており、新興大陸・国家という感覚がありました。同様な感覚が、現在のEUでも生まれているのでしょう。
もちろん、統合拡大は新規加盟国をあらゆる面において完全にEUに統合するということであり、どんなに重要なものであれ、単に新しい条約への調印に止まらないという点は強調する必要があります。この点については十分に理解されていないことが多いからです。例えば、米国ではNATOの拡大が大きな焦点となっています。防衛問題はもちろん重要ですが、EUは経済、政治、社会問題など、社会のあらゆる面にかかわっているのです。このことは、長期的には統合がさらに深化することを意味します。例えば、メキシコが米国の51番目の州になることを希望したとしましょう。それはおそらく良い考えなのでしょうが、米国は時間をかけて考慮し、注意深く準備を進めたいと考えるはずです。
統合拡大の議論を通して、欧州の国家間関係について二つの疑問が生じました。アムステルダム条約では、この二つの疑問に回答が得られませんでした。