日本財団 図書館


011-1.jpg

 

王朝ロマンの町づくり

木戸口眞澄(三重県明和町長)

 

明和町は、ひろびろと沃野のひろがる伊勢平野の中央部に位置する、面積41平方キロメートル、人口26、600人の「まち」であります。伊勢神宮(伊勢市)と本居宣長と最高級肉の松阪市と隣接し、文化的にも、歴史的にも、経済的にも、同じ生活圏を共有し、極めて良好な関係を保持しています。

地勢は、80%が平地であり、良質の早場米が生産される穀倉地帯であり、田園へ豊饒の水を注入する笹笛川・大堀川・祓川の三河川がゆるやかに流れています。「歴史とロマンの町」のキャッチフレーズの由来は、七世紀中ばより、660年にわたり、伊勢神宮の祭祖を司どる斎王制度が、この地に.「竹の都」を樹立していたことが、発掘調査の結果だんだんと明確化されて来たことによります。

「幻の宮」とも謂われ、天皇の御杖代(みつえしろ)として、未婚の皇女が、神に仕える清浄の生活を送くられました。

青春時代を、神に仕える厳粛な生活の中で、和歌を詠み、「貝合せ」などに興じる、華やかな生活の一面と、万葉歌人、大来(おおく)皇女が、壬申の乱に於いて、弟君大津皇子を喪ふ悲劇や、業平と、恬子(やすこ)内親王との恋や、三十六歌仙の斎宮女御(さいくうにょご)が、同じ斎王に選ばれた息女のあとを追い、禁制を犯し、都より斎宮へ赴かれた激情など、数多くの事柄が、「伊勢物語」や「源氏物語」に描かれています。

現在、斎宮跡に立つ斎宮歴史博物館には、遺跡から発掘された出土品の展示がなされ、映像を駆使して、斎宮や斎王のイメージを蘇らせる展示が行われています。

蹄脚硯(ていきゃくけん)や、縁紬陶器(りょくゆうとうき)など、当時の宮廷でしか使われていなかった出土品が、斎宮跡から続々と発掘されています。

斎宮の全貌が、解明される日も、間近かに迫っています。

昭和54年3月、斎宮跡137ヘクタールが、国史跡に指定されて、20年を経過しました。

58年より、斎宮跡の啓発の目的で、始まった「斎王まつり」は、17回を数えるに到りました。

6月初旬、野花菖蒲の咲く季節に、300人から成る斎王群行(さいおうぐんこう)の再現は、時空を超え、華やかな王朝ロマン絵巻として、人々の心を魅了します。

 

011-2.jpg

斎王まつり◇王朝絵巻の再現◇

 

私達は、この地に斎王制度が、かつて存在した歴史を誇りに思い、文化財の保存と、継承をすることが大切であると考えています。

文化財は国民共有の財産であるとの考え方から、史跡整備に取り組んでいます。

いま、地方の時代と云われていますが、これからは、それぞれの地方自治体が特色を鮮明に打ち出し、住民のニーズを先取りして、この地に住むことの幸福感を満足させることが、私達の責務であると考えられます。

明和町は、国史跡「斎宮跡」を軸に、町づくりを推進して行きます。

庁舎内に「斎宮跡課」を設置しています。土地の公有化や、史跡整備・管理を行っていますが、今後は、活用と、全国への情報発信に心掛け、県内外の数多くの人々に、王朝文化に触れて頂く様にがんばりたいと思っています。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION