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3]地域のひろがりの捉え方が妥当であったかどうか。施設配置は、維持人口と移動距離や財政力によって決定されるべきものである。この点は市町村の対応の方が柔軟で、人口では、624〜32,399人、小学校区との関連でいえば、小学校区そのままが58地区/83地区(69.9%)、15地区(18.1%)が2小学校区、7地区(8.4%)が小学校区の一部あるいは半分、3地区(3.6%)が3〜4小学校区となっている。以下、簡単に記すが、4]上位計画との係わりを回避していること。5]センターの計画設計が画一的であること。6]施設周辺の修景努力に乏しいこと。7]住民の主体的参加に欠けていること。以上であるが、指摘した点の中には、30年程の時間の流れの中で改善された事例が多い。これらの事例をひとつひとつ紹介する紙面がないので、先を急がざるを得ない。

全体計画・地区計画へ向けた自治省・建設省の歩み

'60年代後半以降の、自治・建設両省の歩みを見ると、広域市町村圏や地方生活圏等数〜十数町村にわたる計画は省略するとして、市町村スケールの計画に注目すれば、両省とも全市スケールの計画から始まり地区スケールの計画に取り組む方向で動いてきているといえる。'60年代後半と80年代前半の制度の推移を、簡単に振り返って置きたい。まず'60年代後半から。

自治省サイドでは、'65年の「市町村合併の特例に関する法律」によって、新市町村建設促進法は廃止され、市町村計画に関する法制度上の空白期を迎えるに至り、同年に自治省行政局振興課は「市町村計画策定方法研究会」(磯村英一座長)を設置し、同研究会は「市町村計画策定研究報告」('66.3、国土計画協会)をまとめるに至る。この報告書は、市町村計画は、基本構想・基本計画・実施計画からなる重層的計画体系として策定されるべきという、以後一般化する市町村総合計画の体系を打ち出している。この提言を受けて、'69年には地方自治法が改正され、「市町村は、その事務を処理するに当たっては、議会の議決を経て、その地域における総合的かつ計画的な行政の運営を図るための基本構想を定め、これに即して行うようにしなければならない」(同法第2条第5項)と規定され、実質的内容、計画の実効性はとも角、統計数値からすれば5年後の'74年には7割弱の市町村が基本構想を、5割強の市町村が基本計画を、さらに10年後の'84年には各々9割強・8割弱の市町村が計画を持つこととなる。

建設省サイドではどうであったか。高度成長の進展の中で、スプロール市街地を整序すること、計画権限を中央から知事に委譲することは同時に大きな関心事であった。'67年の宅地審議会の有名な第6次答申を受けて、'68年の都市計画法第7条には、市街化区域・市街化調整区域の画定と、区域の整備、開発又は保全の方針(以下、「整開保の方針」と記す)を都市計画に定めるものと記されている。

整開保の方針は、当初は「線引き」の説明書の感もあったが、'80年の通達において、少なくとも含むべき6項目に、地域の特性に応じて定めるべき4項目が付加され、「マスタープランとしての役割」が明記されるとともに、方針を空間化した「土地利用構想」を付図としてつけるよう奨励されることとなる。

基本構想は、全市町村('80年以降は特別区にも)にその策定が義務づけられているのに対して、整開保の方針は、都市計画地域をもつ市町村('96現在2,009)のうち、首都圏の近郊整備地帯内、近畿圏・中部圏の同等の地域内市町村、人口10万人以上の母都市人口をもつ地方都市計画区域内の市町村(同862)に限定されるが、これにより大都市とその近郊、地方中心都市とその近郊都市は、「基本計画」と「整開保の方針」というふたつのプランを持つことになる。また'70年代後半以降、対象とする区域はさまざまであるが、みどり・市街地整備・都市再開発・住宅などの多くの「部門別計画」が創設され、都市計画の体系は複雑なものになっていく。

地区ワイドの話に移ろう。都市計画法が一部改定されて、「地区計画」制度が登場するのは、「沿道地区整備計画」と同じ'80年であった。従来の用地地域(用途・容積率・建ぺい率等)の内容が、よりよい地区環境を創り出すためには必ずしも適切でないこと、地区施設(地区道路・公園・緑地等)が未整備な地区が多いこと、それに対して用地地域や既定都市施設よりもより厳しい規制を、地権者のおおかたの同意のうえに、市町村長が決定するというのがその概要である。

 

 

 

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