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■神戸市におけるまちづくりを通して

神戸市がコミュニティづくりの上にまちづくりを考えたのは、学校公園づくりがきっかけだといわれているが、宮崎辰雄前神戸市長の書いたものにはコミュニティ行政について次のように述べている。「コミュニティ行政は推進すればよいという行政ではない。道路、住宅、下水道行政などの施設行政と根本的に違う。むしろどのような施設をどのようにつくり、どう運営するかの、行政過程、管理運営の方がはるかに重要である。」(コミュニティ行政の理論と実際21頁)

又、あるところでは、「行政が特定の行政目的をもたず、住民と膝をまじえて話しあうことは、これまでの行政では考えられないことであった。このような対話のなかから、SUPPORT BUTNO CONTROLという原則を、行政が堅持すべきことも、コミュニティ行政の体質として身につけることができた。

ともいっているのである。(前掲26頁)だが、コミュニティ行政なるものを前面に打ち出し、神戸市がまちづくりを考えるに至ったことは、宮崎市長の才覚もさることながら、それをがっちり支えてきた神戸市婦人市政懇談会という行政のなかに位置づけられた一つのメカニズムがあったことは、案外に知られていない。

この婦人市政懇は神戸市政にとって羅針盤ともいえるものであるが、それが始まるのは昭和43年であるから、今年で30年になる。まずそれが生れるきっかけとなったのは、助役から市長になった宮崎が、選挙のなかで見た市民の顔が、役所のなかで考えていたものとあまりにちがっていたという認識からである。これまでは誰のための神戸市政であったのか、なやみになやんだ彼は、市民の本音の上に市政の再構築をはかったのである。そして誰でもいい、本音をいってくれと訴えた、その訴えをがっちり受けとめたのが、神戸市婦人団体協議会に集う女性たちであった。

しかし、そうはいっても行政と住民が同じ土俵で対話をかわすということは夢のまた夢である。両者の間に介在する言葉は、「お願いします」と「検討します」のみである。余程好意的でも「前むきに」がつくのがおちである。市長の書いたもののなかにも、「市民参加は一種の公害だ。」「適当にあしらっていればよい。われわれだって、市民のことは考えてやっているのだ。住民エゴにいつまでもかきまわされてたまるか。」という役所の職員たちの声が至るところに出てきて、市長の前に立ちはだかるのである。こんな壁を破ってこの懇談会を前進させ、完成させていったのも、市長の次のような信念あればこそであった。

「しかし、それは私の体験からでは明らかにまちがっている。助役16年の間、市民のことを考え、市民のことは知っているつもりでいた。だが、市長選挙をつうじて、ドブ板を踏みしめ、路地裏の隅々まで廻り、一人ひとりの市民とじかに接してみると、これまでの市民を知っているという自信がいかに観念的なものであったか、身にしみてわかった。」(宮崎、人間環境都市への実践、149頁参照)

 

 

 

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