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しかも尚、まちづくりとコミュニティづくりの間にも微妙なずれがみられ、

「まちづくりとは、一定の地域に住む人々が、自分たちの生活を支え、便利に、より人間らしく生活してゆくための共同の場を如何につくるかということである。その共同の場こそが、まちである」(田村明、町づくりの発想、52頁)という考えはきわめてコミュニティづくりのもつ概念に近いと考えられるが、「まちづくりとイベント」「まちづくりと産直問題」などといい出すと、その間のずれは次第に拡大していってしまうまま、無意識・無前堤につかわれていったのである。だから前記田村説がさらに、

「モノとしての都市は見えやすいが、ヒトの働きや、シクミは見えにくい。しかしその見えない都市の働きこそが、見える都市をつくっている。」

といっているところがあるが(前掲・53頁)その「みえないシクミ」の部分にこそ、コミュニティづくりの本質があると考えるべきなのである。あるいは「まちづくり」そのものをなりたたせる「人と人とのつながりかた」と呼んでもいいかも知れない。パリは18世紀の都市である。それだけに広場はあっても駐車場をもつ建物はほとんど存在しない。したがって路上駐車はあたりまえである。そのなかから出ていく車は、前後にふかして、出来た空間を利用して飛び出してゆく。あれ乱暴なと思ったそんな街角で見たものは、バス停でまつ老女を車中から伸びた手がバスの中に引き上げてやるといった光景であった。そのとき私はコミュニティの本質にふれた思いがしたが、パリにはコミュニティが出来ている。だからこんな整然としたまちづくりも可能であり、人々は生きいきとしているのだと思ったものである。私はその意味で、44年報告が

「地方自治における今日の問題は、形式的に完備された民主的な自治組織が必ずしも所期の効果をもたらしていない点に存する。」といい、つづけて、

「従来の上意下達方式を基本とする行政から、フィードバック回路をもつ行政への転換が必要」

と呼びかけているところにこそ、むしろ重要な意味を見出したいのである。フィードバック回路をもつことによって、行政の質がソフト化の道をたどるであろうし、又一方、それによって、住民参加への道が自然に開かれていくであろうからである。

さてこのまちづくりという用語をそのつくる領域を意識づくり、人づくり、ものづくり、ことづくりの四領域にわけて考えていくことにするが、勿論それぞれが順を逐ってつくられるわけでもない。ことづくりから入るもの(例えば湯布院)、ものづくりからはいるもの(例えば北海道池田町)、また人づくりから入りながら、ものづくりへ進むものもあるであろうが、これら四領域を円であらわし、これを互いに交又させると、その交わるところに色濃い部分が見えてくるはずである。それをコミュニティとよぶとすれば、見えない部分が見えてくる。四つの領域の底にあって、四領域を成り立たせるものであるが、我が国において町づくりがうまくいっているところには、この見えないコミュニティの部分がうまく機能していることがわかるのである。神戸市をはじめとして、岩手県沢内村、福井県上中町、大分県大山町などそのいい例である。第17次地方制度調査会の答申(昭54-9)が

「市町村は地域住民の意向を的確に反映して住民の身近な行政需要に応えてゆく必要があるが、とりわけ、規模の大きい都市については、こうした自治機能を強化するため、近隣段階における住民の参加を促進し、生活環境の改善等の住民の身近な問題に適切に対処するための方策を検討する必要がある。」

と呼びかけているのは、こうした展望をふまえてのことではなかろうか。

 

 

 

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