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まちづくりとは、住民と行政との共同の作品である

石崎宣雄(青森県コミュニティアドバイザー)

 

■まちづくりとは

寛元2年(1244年)越前国に吉祥山永年寺を開いた道元禅師の著、正法眼蔵を読むと次のような一節にぶつかる。

「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。」と。(現成公案の巻)まちづくり、コミュニティづくりを考えるにあたって、この「仏道」を「まちづくり」、「コミュニティ」とおきかえてみるといい。人間である限り、自己のなかには、無限にまちづくり、コミュニティの知識や知恵がつめこまれているはずである。まず、どんなまちであって欲しいのかから始まって、子孫のため、どんなまちを残してやりたいのか。そのために自分のなすことは等々、それらは本の糸に縒りあわされ、太い綱となってどこまでも伸びてゆくことであろう。道元はつづけて、「万法に証せらるるといふは、自己および他己の身心をして脱落せしむるなり。」と書きあげてくれているのである。まちづくりとは道元の論理をもってすれば、万法に証せられた自己が、自己に逢ふということにほかならないのである。

さて、書き出しがら随分こむずかしい言葉を並べたものと思われるかもしれないが、一寸考えてもらへば、それ程のことはない。まず自己の位置づけが正しくないと、この問題は解いていけないことに気づいて欲しいからである。世にまちおこし、コミュニティづくりといいながら、ともすれば、あなたまかせであったり、自分の役割を忘れているものが案外多いように私には思われてならないのである。

さてそこで、コミュニティづくりということが我が国において問題にされだしたのは、昭和44年9月、国民生活審議会調査部会、コミュニティ問題小委員会報告が出されて以来のことであるが、そこでは、

「かつて農村社会に普遍的に存在していた生産構造および生活構造を軸とする村落共同体や都市の内部に存続して来た伝統的隣保組織は新しい生活の場に対して適合性を欠くことが漸次明らかとなってきた。」

と、先づ問題を投げかけている。だから、それにみあったコミュニティづくりが急がれているというのである。しかし、これは、コミュニティという言葉の持つ多様性の故に、まちづくりという言葉でこれを受け止めた場合、大きな混乱をまきおこしていったこともまた、まぎれもない事実である。

「コミュニティづくりは、まちのよさやそこに住む人々の個性を生かすべきであり、画一化されたものであってはならない。そのためにも住民主導で進められるのが本来の姿であり、行政機関は住民の自主的な活動が活溌に行われるよう、場づくりの条件整備を進めるべきであろう。」(昭和54、花時計からの報告、神戸市)

のような、いわゆる住民主導論や、「いまや首長や議員、住民等の政治的能力のすぐれている地方自治体が新しい行政分野で先鞭をつけ、それが他の団体に波及して、全国的に評価が固った段階で、その既成事実を背景にして政府が国会を説得して制度を新設・改廃するという方式が一つの新しい立法パターンとして定着するに至っている。」(加藤富子、1980年代の行政、自治研修222号)

のような行政主導型の主張も見られるという、住民主導型論と、行政主導型とが入りまじって、時には形をもかえてこの問題が主要な座を占めるに至り、問題がすりかえられるという現象が至るところに見られたのである。

 

 

 

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