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米田

町づくりの担い手としての自治体の在り方ということですけれども、それより先に今から50年前ですね、産めよ産めよと僕ら昭和22年・23年・24年の息子は一杯出来ました。中学校を卒業すると、小松島港から夜行の船に乗って、大阪へ大阪へとみんな出て行ったんですね。これは東北地方も九州地方も山陰地方も同じだと思います。先程知事さんがおっしゃったように、東京や大阪というのは、地方の者が出て行ってつくった都市でありますから、当然地方の税収入は儲けた所が使わないかんというような話なんて成り立つ訳がないのであります。これは会場の皆さんと一緒に、地方があって都市も成り立つし、都市があって地方が成り立つということを是非確認したいと私は思っています。

それは徳島県という83万人が住む県土の中でも同じようなことが言えるんだと思うんですね。徳島市という県都、それに地方自治体として借金は有りながらも成り立っていこうとする隣接市町村。しかし、例えば県西部のある町は、人口が昭和30年代、1万6千人おいでた。そこがちょっと減りちょっと減り6千人を切り始めた。また勝浦川の流域のある町は、6千人程居った町が3千人は切らないぞと言って頑張っていたのに2、400を切り始めたと。町づくりで必死に頑張っても、なかなか人口は厳しいというのが現状であります。

しかし、そんな中で私は自治体の在り方、末端の自治体の在り方ということですけれども、やはり結果的には、分権の時代の担い手は市町村だと思っています。市町村が主役で県が果たす役割はそれに対する補完ということになろうと思うんですけれども、しかし私は、そこで県が果たす役割はこれから当分、10年なのか20年なのか解りませんが、県が果たす役割がものすごく大きいと思うんですね。今、私はいろんな町に関わりを持って出向いて行くと、特に今回この分権のパネラーに出るということで、行く先々の市町村で「ちょっと米田はん、来いや。」ということで役場の中に呼ばれました。これは私は本音だと思いますが、市町村長さんは「ヨネちゃん、パネラーで何をしゃべるんや。」と、「地方は財源と権限さえくれたら町づくりはできる。」と、こうだいだい頑張っている市町村長さんはおっしゃいます。

しかしここで、私ちょっと厳しいカッコいい住民側の表現をさせて頂くと、企画力や意識改革の課題は放っておいて、財源と権限だけで独自性の出せる町づくりが出来るかなあと思うと、私はやはり国の指導に導かれてやってきた末端の市町村は、まだまだそこまで成熟していないということを、本当にこの壇上から偉そうな言い方ですけれど認識してほしいと思いますね。

 

 

 

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