それは何故かと言いますと大都市と地方というのはお互いにもちつもたれつの関係、お互いに共存共栄すべき立場にあると思うのです。東京の人や大阪の人は美味しい果物や野菜を作っているんでしょうか、美味しいお魚を現実に獲っているんでしょうか。そうじゃありませんね。それは私達が野菜や果物を育て米を作り、そして獲った魚が高速道路を通って大都市に運ばれているわけです。だから大都市の人はそういう恩恵を受けている。私達の息子や娘が脛かじりをして、徳島に充分大学が整備されていないということもあるでしょうが、東京や大阪の大学に行きます。そして親は自分の年収の3分の1か4分の1ぐらいをこの子供のために仕送りしている。子供は東京や大阪でそれを消費して東京や大阪が繁栄しているという面もあるでしょう。まあいろんな面で大都市は大都市だけで自分達だけで生きていると思ったら大間違いだということであります。
ナショナルミニマムと言いますかシビルミニマムと言いますか、憲法でも最低限の生活というのは保障されている訳です。そのナショナルミニマムの水準は、私は年代と共に上がっていくものだと思うんですね。昔は離島航路補助という制度がありました。それは鹿児島から沖縄の方に行く船であるとかあるいは屋久島や奄美大島に行く船、これは最低限のナショナルミニマムとして国が補助金を出しましょう、しかし飛行機はだめですよという制度でした。しかし今や三日も四日もかけて船でそういう所に行くのが最低限の生活保障だという時代ではなくなっているわけです。ですからナショナルミニマム水準というのは時代とともにどんどん上がっていくわけです。生活水準が向上するに従って上がっていく。それと同じように先程も脇町の町長さんからお話しがありましたように、ある程度の集落と役場を結ぶ道路でありますとか、あるいは剣山という名山がありますけれども、剣山にスキーに行くお客さんが車で通るための道路だとか、そういったような道路について一車線だけで殆ど行き違い設備が4、50m置きぐらいにしかないというような、そういう欠陥道路しかないというような状況を考えると、それでナショナルミニマムだから我慢をしろ、徳島県は県税収入が少ないんだからそれで良いじゃないか、地方交付税は廃止して大都市は大都市だけで使えば良いんだという議論は暴論であるという以外何物でもないということを申し添えておきたいと思います。