脇町は明治22年に市町村制を施行いたしました当時、県内で第2番目の町であったわけです。その時は、1市2町137村でありまして、町は現在の鳴門市の撫養町と脇町だけであったわけですが、その後いろんな時代の変遷とともに現在に至っているわけですけれども、藍で繁栄したうだつの城下町脇町をもう一度復活させてみようじゃないかということを、今町民に呼びかけております。この構想を実現するひとつの方策として、高速道路でこれから交流の時代が来るんだと。そうしますと観光リゾートタウン脇町をひとつつくろうじゃないか。そういうことによって脇町を振興していこうという案を提案しております。現在、その母体となります第3セクター、これからは地元主導型の民活方式でやっていかなければいけませんので、そういう「ふるさと開発株式会社」というものを一つ作ろうじゃないかということで、今いろいろ検討を進めている段階でございます。