つまり、世界の情勢と無縁な地域行政は今あり得ないという事であります。そうなってくると、それぞれのリーダーだけに限らず、多くの人々が持つものがやはり6つあるだろう。一つは先を見て生きていく先見力、二つ目はその為に情報を集める情報力、そして集めた情報を自分で判断をして分析をしていく判断力。今は価値観が非常に多い為に、何か事をしょうとしても選択肢が非常に多い。その中から何かを選ぶとすればやっぱり決断力。決めた事は必ず実現していこうとする行動力。先見力・情報力・判断力・決断力・行動力。いずれも人間の中身であるならば健康でなければいけない、体力が必要であるという事であります。
結局この事を考えますと、先程申し上げた毛利元就というのは、六番目の体力というのは私はよく解かりません。長生きしてますから。しかし、一の先見力、二の情報力、三番目の判断力、そして四番目の決断力、五番目の行動力、この要素に至っては私は彼は全くこれを欠いていたな、無かったなと思います。中国道・中国州というものを確立して、モンロー主義をとなえた、地方分権の確立ということを標倍しましたけれども、彼の目は内陸部にしか向いていなかった。つまり、彼が領域とした山口県を束ねていた大内氏でさえ、すでに下関港や門司港や博多港を活用して東南アジアとの国際交流に乗りだしていた訳であります。文化や物、或いは人の交流、こういうことを行っていた。元就が目を向けたのは、内陸部だけでありまして、これらの港の有効な活用ということを全然図っておりません。その意味では、私は元就においては、確かに戦国時代に地方分権を見事に確立したけれども、この5つ、いわゆるリーダーしての或いはあの時代に生きた人として具備すべき要件は、全く持っていなかったんではなかろうか。
去年は、NHKに頼まれまして私も随分、広島県や山口県あちこち元就の話して歩いたんです。こんなこと言ったの今日初めてなんです。去年はどこでも言わなかった。あんな偉い人はいないです。とても及ばない。この5条件みんな完備してました。本当は腹の中ではそうは思ってなかったんです。おしかったなと思ってた。
結局の所、その意味合いにおけば、蜂須賀家政はこれがあったという事であります。徳川家康から阿波の狸だと言われました。家康が狸おやじのくせしやがって。結局、家政というのは、関ヶ原の合戦で子の至鎮が家康に味方し、おとっつあんのほうは縁故がありましたから、豊臣秀吉の遺児だといえば、やっぱり秀頼に背を向ける訳にはいかなかった訳です。義理を重んじて、自分は出陣できません。そのかわり一万の兵隊を出します。高木さんという家老にお任せして、自分は高野山に入っちゃった訳です。