ここまでは、私は彼の戦国時代における他の戦国武将にない非常に優秀な事だったと思いますけれども、彼はこういう事を言いました。三本の矢の教訓の一番おしまいで、三本の矢の教訓を守る上において、「毛利家の者は絶対に天下のことに目を向けてはならない。或いは天下の争いに巻き込まれてはならない。」こういう言い方をしております。これは言ってみれば中国地方のモンロー主義であり、地方自治のいわゆる国政に対する優位を誇ったものではないんだろうか、こういう気がいたします。つまりこれだけの努力を費やして中国道・中国州というものをすでに自分は存立させたんだ。だからはっきり言えば、国や中央集権政府よおかまいあるな。うちのほうも手は出さない。お互いにすみわけをしたら、そこに境界線を引いてお互いに干渉するのをやめあいましょう。こういう姿勢であります。私はこれは明かに間違っていたと思います。何故間違っていたか。毛利元就が死んだ後、彼の孫の毛利輝元、そして毛利元就の三男坊であって瀬戸内海の水軍の束ねの役を負った小早川隆景、この二人が豊臣秀吉がつくった豊臣政権の五大老というシステムの中に閣僚として入閣しているからであります。小早川隆景も毛利輝元も徳川家康、前田利家、或いは宇喜多秀家と共に五人の大臣のいわゆる五分の二を占めていた。このことは何を物語るか。織田信長の岐阜改称以来のその政策の継続性・連続性を持って、自分の天下事業のいわゆる到達すべき指標としていた豊臣秀吉の政権の中に結局は屈伏したという事であります。このこと自体はやはりいろいろな意味を持ちます。
このような複雑な時代に生きていく住民の皆様にも、或いは議会の諸先生、或いは執行機関の職員の皆様にも今この時代に生きる、20世紀末に生きる我々が持たなければならない考え方はどういうものだろうか。これを大分の平松さんの言い方を借りれば、グローカリズムと言っております。グローバルに物を見て、ローカルに生きていこうという事であります。つまり、徳島県のある町ある村が一つの事を考えるについても国際情勢をまずにらんでいこうということ。世界がどう動いているのか、その中で日本の国政がどのような動向をたどろうとして、この21世紀に日本という船がどういう場所に位置を占め、中に乗っている国民がどういう暮らしをエンジョイできるのか。こういうものを見ながら、圓藤徳島県政の進む方向というのが、いったいどの辺にあるのか。その中における市町村の地域に密着した魅力の生産、これがどうあるべきか、これがグローカリズムであります。