橋之助さんのつまり元就の奥さん美伊というのが死ぬ時は60何歳であります。またお杉という実在の人物、名前はあれは仮名でありますけれども、松坂慶子が死ぬ時は80幾つのババァであります。そんな事は全然ありませんでした、最後の最後までお元気であらせられた。結局のところ、あのドラマが言いたかったのは「戦国の女性ってこんなに元気だったのよ、年もとらずがんばったのよ。平成の意気地のない男どもざまあみやがれ。」これがテーマだったろう。その意味においては大変成功しているな、こういう感じがしております。
ただ私どもが歴史の上から見ると、毛利元就は単にそういう事だけではなくて、すでに戦国時代に広域自治体をつくった人であります。つまり、広島県の郡山城吉田という郷から出た彼が、最後に成し遂げた事は何であったか。広島県・山口県・島根県・鳥取県・岡山県・兵庫県ここまで全域にわたって支配管理体制を強めた事であります。この事は何を物語るかと言えば、つまり彼が、この時代にローカルマキシマムを実現し、そして中国地方に道或いは州、これを実現した人であります。つまり今北海道という広域自治体の束ね方がありますけれども、これはご案内のように日本に古代の国家が出来た時に、いわゆる中国道とか東海道とか東山道とかいう道でいわゆる広域の地域をまとめていきました。道というのは点から点に至るロードの意味ではありません、面であります、行政範囲であります。だから北海道と言っているんです。あれは道のことをいっているんではないんです。北海道地域全体のいわゆる道庁を置いた行政の対象とした面をいっている訳であります。つまり元就は、中国道或いは中国州これをつくった。
そして有名な三本の矢の教訓を行います。この三本の矢の教訓というのは、毛利家の子供達よ、一本の矢だとすぐ折れる、三本固めて兄弟が仲良くすればなかなか折れない、このように考えよ、こういう事なんです。この時に彼はこの中国道ないし中国州を造る過程において、一つの組織を組みました。それは唐傘連合体と呼ばれるものであります。唐傘連合体というのが何であるかと言えば、唐傘を上から見ますと芯・コアがあって、そこから放射線状に骨が出ております。毛利元就はこの唐傘の骨の上に国人衆と呼ばれたその地域での地侍、或いは土豪と呼ばれた人達に名前を書かせました。名前を書いたいわゆる土豪達は人口規模、財政力、或いはいわゆる行政事務の処理能力、無関係でありました。そういう事は関係ない。全部ここに書いて、今でいえばつまり市長会とか或いは町村会とか呼ばれるものです。お互いに規模の大小を問わず、平等公平にこの連合に加盟しましょう。これは完全に元就の中国地方における地方自治体連合体ではなかっただろうか。そしてこの連合体によって先程申し上げた、一市町村で解決することの出来ない飲み水の問題とか、下水の付設とか、広域開発の問題とか、環境保全とかこういう事をお互いにやっていこう、その為に会費を取り合っていこう、こういうものなんです。