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こんな話があります。最後の蜂須賀家の当主、所謂藩主であった方が明治維新になって華族制度で侯爵になった。ある時、皇居に行って明治天皇にお目にかかりたいと言って面会を申し込んだ。これは阿波踊りの寄付かなにかをもらいに行ったのか知りませんけれども、とにかく行ったんです。そうしたら明治天皇が「おお蜂須賀が来たか。それじゃあちょっと待たしておきな。」こういう事でありました。その時にすでに蜂須賀は25万石の大名でありました、侯爵になってたんです。待合室で待ってた、そうしたら煙草の応接セットがあった。中の煙草を見ますと菊の御紋が入ってるんです、みんな一本一本に。蜂須賀侯爵はやさしい人ですから、これは自分だけで吸ったら悪いな、少し部下にも持って行ってやろうかなと手を広げまして、そのセットの中から掴めるだけ掴んでポケットにしまってたんです。ちょうどそこに明治天皇が入って来て「こら蜂須賀、さすがに泥棒の子孫は違うな。」とこういう事を言ったそうですけれど、この時に蜂須賀侯爵は怒って「違いますよ、泥棒の子孫はずっと前に絶えたんだ。私は第11代将軍家斉の息子です。」とこういう事を言ったそうですけども、この蜂須賀家が夜盗であったという話は嘘であります。

初代の小六正勝は、つまり羽柴秀吉(木下藤吉郎)と大変に仲が良くて、織田信長の家臣になって、そして木曽川と長良川の合流点である広い洲、スノマタと言われた墨俣に墨俣城という城を作りました。織田信長がこの墨俣城を拠点にして、支配した美濃の国に井ノ口という所があります。金華山という山の上に稲葉山城というお城がありましたが、これは信長の舅であった斉藤道三のお城であります。道三の娘が信長の奥さんですから、道三はお舅さんなんです。ところが、この道三が子供達に殺された時に遺言を書きました「信長殿、美濃の国はあなたに差し上げる」と。そこで美濃の国に入って参りました信長が、山の上の城にいたのでは民生など到底行えない、山の麓に降りて行政を行うべきだ、こういうことで麓の井ノ口という所に降りて参りました。ここで展開いたしましたのが、有名な楽市楽座であります。ところが、彼は井ノ口というのを突然地名変更した訳であります。井ノ口といわれていた当時の地名を岐阜に変えました。これは言うまでもなく日本の地名ではございません、中国の地名であります。何を意識していたか、先程申し上げた岐山を頭の中に置いていた訳であります。山では少し高くて周の武王に申し訳ないな。阜というのは丘という意味であります。

 

 

 

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