これは昔の人がよく言った事でございますけれども、地方分権の推進という事は3つの助け合いだと。3つの助け合いというのは何であるか、1つは公助、2つめは互助、そして3つめは自助であります。
公助というのは、今で言えば税金によっていろいろなサービスが提供される。つまり皆様の行政需要に対して、御納めになった税金が、反対給付としてサービスとしてお返しされる。しかしこれだけでは済まないものがあります。互助というのは、地域・コミュニティーにおける、まずとりあえずは隣人同士、或いは町の中に住む住民同士、こういうものによるお互いの助け合いであります。自助というのは、ある程度自分の出来る事は自分でやっていく、自分で自分を助けていく。つまり憲法に書かれております、権利と義務の使い分けが、いよいよはっきりしてくる、こういう事でありましょう。
従って、地方分権の推進とは、私は必ずしも鐘や太鼓でドンチャン騒ぎをして喜ぶ事ではなくて、住民の皆様にとっても、やはりかなり負担の増える事であり、そこで一番大きな事は意識変革、気持ちの持ち方を根底から変えなければいけない。地方行政の主人は、自分達一人ひとりなんだという自覚が、ここで非常に大事になってくるのではなかろうかと思います。結局、この3つを進める上においては、何といっても住民の皆様と、それから議会の諸先生と、それから知事さんや市村長さんをトップに立てた執行機関、この3つが立体的に手を組んでいかなければ進まない事だろうと思います。
それでは、私が先程申し上げました、生きがいと死にがいを現世代、それから次の世代さらにはよそから人を呼んであげる、こういうような魅力を生むための基本的な条件というのはいったいどういうものだろうかという事を次に考えます。この事は、やはりいろいろな地域特生として、徳島には徳島なりの特性というものがあり、或いはお隣の高知には高知の、或いは香川には香川の、或いは愛媛には愛媛の、四国というのは4つの国の集まりでありますから、こういうものがあろうかと思いますけれども、ベースになる、どこもがやはりそれを基盤にしていかなければならない条件というものが、あるのではなかろうかとこういう気がいたします。
そこで、そのお話をさせて頂きますけれども、ここ徳島の元の名前は、渭津、或いは渭山などという地名がございました。これは中世のこの辺の管理者でありました足利幕府の管領でございます細川頼之という人が、ある偉いお坊さんに御相談をしてつけた地名であります。このお坊さんは、中国に実際に行って仏教を学んでいる時にある川を見ました、その川が渭水であります。中国の西北部、或いはシルクロードをお歩きになったお客様は、ご案内かと思いますけれども、こういう大きい川があります。結局このお坊さんと細川頼之は吉野川をこの渭水に見立てた訳であります。猪という字を使っていることもありますけれども、もともとはこの渭を使って渭津とか渭山とか言っていました。