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地方分権の先程の圓藤知事さんのお話のように、やはりこれからは県民、或いは市町村民が町づくりなり地域づくりのいわゆる特生を作っていく主体になる訳であります。只私は今日本の自治体が一生懸命御努力になっている町づくり地域づくり、何の為にいったいこういう事をするんだろうかという事を時折考えます。私は目的が三つあるだろうと思います。1つは今日おみえの皆さまのような世代の方々が、この徳島県全体に生きがいをやはり感じるような魅力を自らお作りになって、これを子孫に残していく事だろう。2つめは生きがいだけではなくて、死にがいも感じるような魅力を作る事ではなかろうか。終の棲み処として徳島県に生まれた事・生きた事・暮らした事を誇りに思うと同時にここで死んでもいいと骨を埋めてもいいと、こういうような魅力をお作りになる事ではないだろうか。そして3つめはその事が皆さまのいわゆる御子孫、お子様やお孫様やそこから子々孫々続いていくネクストゼネレーションに対しても同じような生きがいと死にがいのある魅力を残していく事ではないんだろうかと。もう一つは、東京に住んでおります私の様な存在に対して、「童門さん徳島へおいで。もうあんな東京のような石の林に住んでいないでおいでよこっちへ。水も緑も或いは空気もそれからもう一つは人の心が本当に温かくやさしいよ。おいでこっちへ。」といわゆる他県に住む人を誘ってあげられるような魅力を作っていく事。この3つがやはり大事なのではないかと思う訳であります。

その意味におきまして、地方分権がどんどん進んでいくという事は、まあ言ってみれば、かつての阿波徳島藩、この地域は蜂須賀藩が淡路島を含めて25万何千石かの管理をしていた訳でございますけれども、ある意味で藩に戻っていくような気もする訳でございます。なぜ藩にもどるのか、別に封建制に戻るか何かという事よりも、その地域のいわゆる政策形成は市民が住民が主体になって自ら行っていくという事。ここまではよろしゅうございますけれども、藩時代には、その施策を行う為の諸経費、これを自ら調達しなければいけませんでした。いってみれば10割自治であります。つまり当時は、徳川幕府から地方交付税だの補助金だのというものは一銭も出ません。つまり自前の財源調達能力を持たなければならなかった。その為に、蜂須賀家政が入国以来十数代にわたる徳島藩の努力というのは、御案内の様に吉野川流域における藍の栽培、こういう物をいわゆる中心にしながら、富というものを自ら生んでいくという努力を続けた訳であります。ある意味で地方分権の完全な実現というのは、こういう状況に戻っていく事であります。そうなってまいりますと、これは役所だけでは出来ない事であります。

 

 

 

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