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はっきり言って私もそのとおりだと思いますし、ケネディが言ったように、国が国民に何をしてくれるかではなくて、国民として国のために何ができるかを考える時代になってきたということをつくづく感じました。したがって、地方分権もさることながら、我々民間人としては、今度は自治体と民間との関係も考えていく必要があろう。そのためには、やはり地方分権が1つの参考になるという気でいるわけです。

我々民間人としては、これを補完性の原則ととらえており、国であれ自治体であれ民間であれ、この補完性というものを貫いていかなければならないのではないだろうか。いわゆる国民自身、個人ができることは個人でやりなさい。それでできない場合には、住民が協力してやろうじゃないか。住民協力でできないときには地方自治体が担当すればいいじゃないか。地方自治体ができないときには国がやるのだというふうに考えていけば、一番いい形の地方分権になるのではないかろうかと考えています。

そのために、キーワードとして挙げられるのが、1つは、あまり複雑では困るので、やはりシシプル、単純でなければいけない。2つは、やはりダイナミックでなければいけない。3つは、フレキシブルでなければいけない。4つは、オリジナル、いわゆる独自性を持ったものでなければならないのではなかうかという気がするわけです。そうしたことを千田先生から教わった、本当に勇気づけられ、はっぱをかけられたような気がしました。

さて、地方活性化のかぎは中央集権の打破と分権の実現にあるというのが私のかねがねの考え方です。我々としては、敗戦後、大都市育成というか、日本の産業を復興させるためには大都市へ傾斜配分して集中していかなければならないということは覚悟していましたが、それがずっと現在まで続くものだとは考えていませんでした。そのためか、国土も変なことになってしまった。いわゆる太平洋ベルト地帯を中心にして、日本海側がなおざりにされたために、先般の阪神・淡路大震災のときにも、非常に困った結果が出てきたのではないか。そうした中で、やっと国も多極分散型の国土形成ということを考えて、地方に拠点都市をつくろうではないかということになったわけでしょう。

先日も、実は私のほうで研究会を開いたときに出ていました。これは後ほどまた申し上げようと思いますが、東亜大学の安部学長がおっしゃるには、「合併もよろしい。広域連合もよろしい。しかし、その前に各市町村の融合があるべきではないか」と。それを聞いたときに、なるほどな、我々は一挙に合併に持っていこうという考え方であったが、そうでなしに、融合から連帯、そして連合あるいは合併という段階を追ってやるべきであるというふうな考え方を持ったわけです。そのようにして、中枢機能を確立しながら魅力ある都市をつくっていくという気持ちがなければいけないのではなかろうか。そして、独自な国際的な、鳥取県がやっているような国際交流もできるし、競争力を持った真の自立した自治体ができるであろうというふうに考えるわけです。

どうしても地域の活性化というものがみんな同じようなものになっていく、金太郎あめになっていくという危機感が出ますが、それにはやはり地域の独自性や自主性が欠けている、あるいは個性ある地域づくりをすることを忘れているのではないか。いわゆるお上が言ったとおりしかできない、極端に言えば、していないということが言えるのではないか。結局そのようにしたのは何かといえば、やはり中央集権的な考え方がそこにあったから、どうしてもそうならざるを得なかったということが言えるのだろうと思います。

外国が日本のように過度に集中しないのは、どちらかといえば連邦制ということにもあるのでしょうが、はっきり言って地方分権が確立しているからということが言えるだろうと思います。したがって、中央集権あるいは一極集中の国土構造をなくすためにどうするかといえば、やはり地方分権を実現して自主性と個性のある地域づくりを競争させることが最も急がれるのではなかろうか。

 

 

 

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