そして、「おばあさん、しばらく待ってよ」と言って、テレビをつけて見せてくれる。またしばらくしたら、別のヘルパーさんが来て、「買い物に行きましょう」と言って車いすに乗せてくれる。夜はまた別のペルパーさんが寝させてくれる。夜中、寂しくて寝つかれないときは、ポケットベルを押せば市の在宅看護のセンターから人が来て、おばあさんと話をして寝つくまでいてくれる。別に1人が1人に付き添う必要はないのです。今そういうことがわかりましたが、そのころはわかりませんでしたから、ショックでした。
第2の原則は、継続性の原則です。つまり、おばあさんが施設に入ると決まったら、おばあさんの今までの生活をずっと継続するということです。したがって、広い個室が必要です。私は、特別養護老人ホームに個室というのはおかしいじゃないか。1人では寂しい、2人だとけんかするから、3人が寂しくなくて一番いいじゃないかと本当に思っていました。ところが、何のために1人にするかといえば、やはり継続性の原則です。デンマークでは、亡きおじいさんや家族の写真、修学旅行があるかどうか知りませんが、がらくたみたいな孫の修学旅行のおみやげ、自分がずっと持っていたぬいぐるみ等あらゆるものを持ち込めるようになっています。日本ではどうですか。風呂敷包み1つしか持って入れない。人手がかかって髪など洗っておれないから、おばあさんの髪をばっさり切ってしまう。散歩のつもりで夜室内を歩くと、痴呆性、夜行性などといってすぐ縛られてしまう。そうなれば継続性などその日のうちに断ち切られてしまって、本当にちゃんとした人でも寝たきり老人になってしまいます。
第3の原則は、潜在能力の活用です。市報やパンフレット「横手市総覧」とか「横手市の姿」に必ず福祉の欄があり、おじいさんがニコニコして口を開けているところに、ヘルパーさんが食べ物をスプーンで口に運んでいるような写真がよく出ています。しかし、あれはよく見ると、「おじいちゃん、おばあちゃん、はい、どうぞ」というのではないのです。人手が足りなくて大変ですから、「はい、はい、早く早く」と機械的に口に入れられて、だらだらこぼしたのを拭いて終わりです。デンマークでは、少しでも動けば、ヘルパーさんはうまく握れるように改良したスプーンを持たせて、「もう少しだよ。おばあちゃん、上手だね」と、要するにその人の潜在能力をできるだけ活用してよくするわけです。
このデンマークの3原則は、世界に冠たるものだと私は思っていますが、これをつくったのは現場の人です。それらのアイデアはすべて現場の看護婦さんやヘルパーさんが、こうしたほうがいいじゃないかといろいろ言い合って、それが政策として認知され、理論化されたわけです。書いたのは係官かもしれませんが、特に頭のいい大臣や福祉担当官がつくったわけではないのです。
それに引き換え我が日本は、例えば高橋愛子さんというヘルパーさんがいるとします。その人が独り暮らしのおばあさんの家に行って、「おばあちゃん、今日は洗濯しますか」と聞くと、おばあさんは、「愛子さん、洗濯よりも窓を見てよ。窓から雪が入ってくるかと思って夕ベ寝られなかった。あれを落としてよ」と言う。雪国では降った雪が入り口に落ちないように雪どめをします。雪がだんだんたまってくると、大きく張り出して雪のひさしになります。それがだんだん大きくなると、ぱっと落ちないで、くるっとまくれて、そこに窓でもあると、窓を破ってなだれ込むこともあるのです。おばあさんはそのことを言っているのです。一遍に落とすと大変なことになるので、愛子さんは端から少しずつ落としました。1時間かかって汗びっしょりになりましたが、「愛子さん、よかった、よかった」とおばあさんに喜ばれて、意気揚々として市役所に帰り、その日の業務報告書に書いたわけです。
ところが、その後1週間か10日か1ヵ月かわかりませんが、「愛子さん、あんたは何だ。この間、雪落としたろう。厚生省からだめだと言ってきた。補助金カットされたぞ。何やってんだ」「私、何か悪いことをしたでしょうか」「通達補助要綱を見てるか」と、福祉事務所長から大目玉をくらったのです。