2つは、ものもらい根性です。私は補助金を取るのがうまくて、日本一うまいのじゃないかと自分でも自慢して、今考えれば本当に汗が出るような思いですが、補助金はただくれるのではないのです。やはり向こうの言い分を聞くからです。今回の公共事業でも、景気浮揚で16兆円ですか、100%ただくれるならいいですが、2分の1は必ず自己持ち出ししなければいけないのです。計画ができて、大蔵省とも話がついた、所要の手続きも済ませた、ゆっくりやって5〜6年後に完成すればいいと市民に話していたのに、今、急に予算がついたからといって道路の拡幅をどっとやる。そうすると、住民は5〜6年後という心づもりをしていたのに、急に明日から買収に応じてくれとは何事だということになるわけです。そうでなくても公共事業に対する批判の多い今、景気のためにはやむを得ないということでしょうが、そういう補助金をもらうという根性はできるだけ捨てて、自分の欲しいものにはつけてください、要らないものにはつけないでくださいと言えるかどうか、難しいですが、そういう気持ちをぜひ持たなければいけないと思います。
一番悪いのは、予算査定といえば、まず第1に、人件費、公債費はもちろんすぐ決まりますが、その次に、補助金のついた事業を優先するために、若い婦人のための男女共生の云々というような、30万円ほどあればできる事業までばたばたと削られてしまって、見るも無残な骨格だけの予算になってしまうことです。そういうやり方は本当に反省しなければいけません。3つは、横並び根性です。これは自治体のみならず国民全体にあることです。うちの村は特別養護老人ホームは要らない。ヘルパーさんをたくさん抱えて絶えず手当てをしていけば大丈夫だとせっかくみんなで決めたのに、隣の町には特別養護老人ホームも軽費老人ホームもある。うちの村になぜないのかと言い出す人がいる。ヘルパーをたくさん抱えていることは言わないで、ないことだけを言うのはおかしいわけですが、そう言われると首長も痛いですから、ついつい隣の町と同じようにしてしまう。その結果、全国どこも同じ格好になる。その横並び根性が地方分権にとっては一番敵です。
うちの村はヘルパーで行く、隣の村は施設で行くというその違いを、我々はむしろ個性として誇りに思うべきです。小さくともキラリ、うちは小さい村であるがキラリと光るものがある。それがみんなの喜びであり、そして、そのキラリをさらにもっと大きくしょうというのが、分権社会の真の姿だと思うのですが、相変わらず横並びなのです。したがって、私は、分権委員会で厚生省の役人の方々とも相対して戦うというか、討論しますが、少しやり過ぎてその人が少しむくれたらしくて、「千田さん、あなたは個性個性、違いがあると言うが、私はあなたの考えは間違っていると思う。国民は、どこの市町村に行っても全部同じ行政サービスであることを望んでいますよ。だから、我々国は基準をつくって、やり過ぎたところは適当にして、足りないところは大いに力を入れてきたわけです。それを千田さんみたいにばらばらにするなどということは国民の皆さんが承知しませんよ。どうですか、国民投票をやってみますか」と、ニヤリ笑っているのです。私もそう言われると、私が幾ら演説しても、もしかすると同じ行政サービスを望んでいる人が多いのではないかという感じを受けて、そのときは黙って悔し涙をのみましたが、この根性は、ぜひひとつみんなでなくすようにしなければいけません。
次に、「作ろう!新しい3つの能力」ですが、まず1つは、法律・条例をつくる能力です。要するに我々は法治国家ですから、みずから条例をつくる能力、法務能力をつくらなければいけないのです。なぜなら、県の皆さんは自分で条例をつくる能力を3割しか使っていないからです。561ある機関委任事務を仕分けしたら、今までせいぜい1割、幾ら多くても2割くらいと思っていた法定受託事務が、関与があり、言うことを聞かせる保証があるので、どんどん増えて4割にもなったのです。法定受託事務というのは、パスポートとか国会議員の選挙の仕事です。もともと国の仕事ですが、国の役人がわざわざ鳥取県まで出張する必要はない、我々がやるからカネをよこしなさい、指図はしてもいいというものです。